世界の果てで紡ぐ詩
昼下がりのティータイム
「――ユイリ、聞こえないのですか、ユイリ・サヴィア!」
ぼんやり廊下を歩いていたユイリは、数秒ほど遅れて慌てて振り返った。
「あっ、は、はい!」
そこにいたのは、背筋のピンと伸びた礼法のネアだった。
静かな怒りを秘めたネアの顔を見て、ユイリは居たたまれない思いで首をすくめる。
普段から礼節に厳しいと定評のあるネアは、厳しい口調で言った。
「常に神経を張り詰めて気を配らねば、この学院での務めは果たせませんよ。わたくしが何度、あなたの名前を呼んだと思っているのですか」
「す、すみません」
「“申し訳ありません、ネア”です」
「……申し訳ありません、ネア」
小声で繰り返すユイリに、ネアはまだまだ注意したいことがありそうな表情を浮かべながらも、よろしいと頷いた。
「――院長が呼んでいますので、院長室へ行きなさい。くれぐれも、お待たせすることのないように」
「院長室? 私が、ですか?」
ユイリが不思議そうに首を傾げていると、ネアは眉を微かに上げた。
「返事をなさい、ユイリ・サヴィア」
「――はい、ネア」
* * *
ユイリは紅茶から立ち上る湯気越しに、向かいのソファに腰掛ける人物を見つめた。
優雅に流れるような仕草で紅茶を飲む人物は、白を基調とした聖衣を身に纏っている。
呑気にティータイムを楽しんでいるのは、ウェレクリールの水の神殿で最も神聖な立場に在る、レイフォード神官長その人だった。
ずいぶんヒマな人だなぁといささか失礼なことを考えながら、ユイリは疑問を口にした。
「つまり、私をわざわざ院長室に呼び出したのは、これを渡すためだと、そうおっしゃるのですか?」
これと指差したのは、机に置かれた小さな包み。
可愛らしくリボンまでつけてラッピングしてある。
レイは、眩しいほどの笑みを浮かべた。
「良い茶葉が手に入ったので、ぜひユイリにもと思ったものですから」
「はぁ。それはどうも……ありがとうございます」
(ちょっと迷惑だけど)
ユイリの内心の思いなど知る由もないレイは、「それに」と言葉を繋いだ。
「学院へ推薦した手前、様子を確認したいとも思いましてね。どうですか、学院生活の方は」
ユイリは少しの間考えて、当たり障りのない言葉を選んだ。
「えぇと、勉強は意味の分からないことが多くて難しいけど、ちょっとだけ慣れてきたような気がします」
レイはその答えに満足したのか、頷いた。
「それは良かった。皆にいじめられていないか、心配していたんですよ。でもユイリの言葉を聞いて安心しました」
「――――どうしてそんな風に思ったんですか? いじめられているだなんて」
何か引っかかるものを感じて顔を引きつらせるユイリの前で、レイは無邪気な顔を崩すことなく爆弾発言をした。
「時期的なものを考えると、ユイリの編入には何か裏があるのではと勘繰られやしないか心配していたんです。私自らが推薦したことは、学院内で広く噂になっていたようですし」
「……」
知っていて何の忠告も与えてくれなかったと言うのだろうか、この男は。
おかげでライオンの群れに放り込まれた子猫の気分を味わってしまったユイリは、思わず声をわななかせた。
優しそうな顔をしているくせに、実は一番たちが悪いのではないかと思いながら。
「私のことが噂になっているって、レイさんは最初っから知っていたと?」
「もちろんです」
なぜか得意げな顔で、レイ頷いた。
「私はウェレクリールで起こる全てのことを掌握していると自負していますし、何より特に隠してはいませんでしたからね」
「――へぇ」
「……何か含みのある目つきだと思うのは、私の気のせいでしょうか」
ユイリは心の中で舌を出しながら、表面上はにっこりと微笑みを浮かべた。
「やだなー。気のせいに決まっているじゃないですか」
(おかげで私は、初日から変な目で見られたりして散々だったんですけどッ)
「――――」
「何ですか?!」
ユイリが噛みつくように言うと、レイはあからさまな苦笑いをした。
「いえ。ユイリは……思っていることがすぐ顔に出ますね」
「――正直ものですから」
(あなたと違って)
ユイリが心の中で一言付け加えると、レイは何とも言えない顔をした。
「――顔に出ていますよ」
「しまった……!!」
「――今度は声に出ています」
レイは呆れ顔で指摘すると、次の瞬間には何が面白かったのか、体を折って肩を震わせ始めた。
対するユイリは、何が面白いのかさっぱり分からない。
憮然とした面持ちのユイリと目があったレイは、目尻に浮かんだ涙を拭って姿勢を正した。
「し、失礼しました」
「……いいえ」
それでも尚警戒するユイリに、レイは謎めいた微笑みを浮かべた。
「本当に、あなたは私を飽きさせない方ですね。予測がつかないと言うか、危なっかしいと言うか。それがあなたの特性と言えばそれまでですが――私はあなたに過度な期待を抱かずにいられないのですよ」
「? おっしゃる意味が良く分からないんですけど……」
怪訝な顔をしたユイリは、ふと考えて更に苦虫を噛み潰したような微妙な顔をした。
何だかよく分からないけど、過度に期待されるなんて冗談じゃない。困る。
はっきり言って、かなり迷惑だ。
右も左も分からない状態で何を期待するつもりかは不明だが、これ以上厄介事を増やさないでほしいと、ユイリは切実に思った。
レイは、ユイリの顔に次々とよぎる表情を見つめていた。
笑顔の裏に隠れた思いを封じ込めて、立場上すっかり表情の一部となった笑みを口元にのせる。
――異世界からの迷い人たる彼女には、なぜだか見抜かれてしまいそうな気はしたけれど。
「他愛もないことだと、聞き流して下さって結構です。深い意味があって言ったわけではないのですから」
「そう――――なんですか?」
ユイリは、探るようにレイの整った顔を凝視した。
その様子は、何かを疑っているように見える。
レイは曖昧な感じで肩をすくめると、アメシスに語りかける言葉を紡いだ。
「イオ ラル ディーア インフェリレージ」
すると、冷めた紅茶に代わって温かな香気をくゆらす紅茶が紋様術の中に現れた。
目をぱちくりさせているユイリに、レイは気前の良い笑顔で言った。
「せっかくの紅茶が冷めてしまいましたから、新しいものを用意しました。遠慮せずに、どうぞ」
「――――はぁ。……どうも、ありがとうございます」
雛にエサをやる親鳥よろしくニコニコしているレイに、とりあえずお礼らしきものをもぐもぐと呟いた。
機嫌の好さそうなレイには口が裂けても言えないが、実はユイリはこんな事を思っていた。
(この人、神官長のくせに仕事しなくていいのかなぁ)
先程脳裏をよぎった疑問は一時棚上げにされて、和やかなティータイムはその後もしばらく続いたのだった。
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