世界の果てで紡ぐ詩

01.

 “好奇心は猫をも殺す”

 確かこんなことわざがあったように思う。
 詳しい意味は忘れたけど、好奇心はほどほどにしなさいねっていう意味だったはずだ。
 何でもかんでも首を突っ込みすぎると痛い目見るぞとか、そんなニュアンスの。

 一体何がいけなかったのか。

 胡坐をかいて座りこんだまま、考えてみる。
 スカートなのにはしたないとは、思うことなかれ。
 なぜならこの『空間』には、人っ子ひとりいないのだから。
 叱ってくれる人間がいようものなら、逆にしがみついてでも離れない構えだ。

 ともかく、考えられる原因は一つ。
 差出人のない、一通の封書だ。

 表には、瀬名 唯理《せな ゆいり》様。
 無機質な特徴の文字が並んでいる以外、切手も貼られていない。

 それはもう不審なお手紙をいただいたわけだが、そこにはもちろん好奇心もあるわけで。
 開けちゃいけないと言われれば言われるほど開けたくなるみたいな。
 もともと呑気な性格だから何も考えず、ちょっと見たら捨てればいいし的な軽いノリで封書を開けてしまった。
 上の部分だけ横にちょこっと切るんじゃなくて、思い切り縦にびりびりと。

 普通何かが起こるならここで起きてほしいところだけど、その時はいきなりどろんと煙が出てくるわけでもなく現れたのは、数枚にわたる楽譜。ヴォーカルスコアという代物だった。

 誰がこんなものを送りつけたのかは不明。でも興味をそそられたのもまた事実。

 平凡な人生街道まっしぐらに突き進んでいても、人には取り柄というものがあるもので。
 私の場合、それが声楽だった。
 某音楽コンクールに出場したりもする腕前だったりする。

 正体不明の差出人はそれを知ってか知らずか、一度もお目にかかったことのない曲の書かれた楽譜を送ってきたのだ。

 単純な脳内思考の持ち主である私は、名前も知らない送り主に感謝しつつ、喜び勇んでじっくり鑑賞すべく自室へ向かった。

 くしゃくしゃと丸めてゴミ箱にポイと捨てれば、こんな途方に暮れるような状況に陥らなくてすんだのに。
 今となってはつい数分前の自分を恨めしく思うが、今の私と同一人物なのだから、首根っこを捕まえて説教するわけにもいかない。
 というか、そんなのはあまりに痛すぎる。

 楽譜に書かれていたそれは、やっぱり今まで見たことのないもの。
 声楽を少しはかじる者として、たくさんの曲を知っているはずだけど、それは自意識過剰というものだったらしい。
 初めての曲にわくわくしながら音符と文字を目で追って……って、これは何語?
 もともと外国語系は不得意分野ではあるけど、全く想像もつかない言語なんてある?

 壁にぶつかって一回転。
 脳みそが揺れて星が瞬く代わりに、クエスチョンマークが幾つも点滅しだした。
 のも束の間。
 あっさり省エネモードに切り替えて、好奇心を満たすべくピアノへと向かう。
 いつまでもクエスチョンマークに点滅されていたら、脳内電力が持ちません。

 楽譜を指定位置にセットして、ある程度目で追って。
 なめらかとは言い難い指が紡ぎだした曲調は、どこか異国の情緒漂わせる音楽。
 知っている曲と照らし合わせるなら、教会音楽のような響きを持っているもの。
 とりあえず曲を二周するころには、すっかりメロディが頭の中に叩き込まれていた。

 ピアノの前に座って余韻に浸りながらそっと目を閉じると、あふれてくる映像と言葉。
 知らないはずなのに知っている。そんな、不思議な感覚。

 水底で揺蕩《たゆた》う小さな空気の泡を見つめながら、水面に映る月に思いをはせる――。

 言葉があふれだすのをとめることができない。
 呼吸をするのと同じ自然な動作で、言葉が歌となり口から零れ落ちた。

 それは女神への鎮魂歌。
 水の精霊に語りかける言葉の羅列。
 無意識に口からこぼれおちる音は、聞いたことのない異国のもの。

 と、ここまでは何ていい曲なんだと目尻を服の袖でそっと拭うところだけど、一通り歌い終わって目を開けた私は思わず顎を落としかけてしまった。
 なぜならそこは、見渡す限り真っ白な、何もない世界だったのだから。

 何度瞬きしても変わらない。
 頬をつねってみてもただ痛いだけ。
 恐る恐る「誰かいませんかー?」なんて間抜けなことを言ってみても、返ってくるのは無情な沈黙。
 長いものには巻かれてしまえというのが人生論な私でも、さすがに途方に暮れてしまう状況に放り込まれてしまった。

 そして冒頭に至るというわけだ。

 本当に、人生って何が起きるか分からない。

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