世界の果てで紡ぐ詩

13.

 覚醒は唐突に訪れた。

 何の前触れもなく意識は目覚め、直前に見ていた夢の記憶は忘却の彼方へと押しやられてしまった。
 ユイリは目を閉じて横たわったまま、目元に手の平を持っていくと数秒間微動だにせず、うるさく主張を続ける心臓の鼓動がおさまるのをじっと待った。

 ふと気付くと、ちょうど目元から頬にかけて引き攣れるような渇きがある。
 手を触れれば確かに涙の乾いたあとがあり、どうやら夢を見ながら泣いていたのだと知れた。
 夢で泣くどころか、夢自体あまり見たことがないのに。

 それはとても不思議な感覚だったが、徐々に現実を取り戻して落ち着いてくると、夢の内容を忘れてしまったことが残念だと思えるまでになった。
 もし覚えていれば、夢判断テストを試してみると面白い結果が出たに違いない。
 内容は覚えていなくても、久しぶりに見た夢なのだから。

 一人こっそりと微笑みを浮かべたユイリは、生来の楽観的な性分を取り戻してゆっくりと目を開けた。
 否、開けようとした。

 (あれ?)

 横たわったまま器用に首を傾げて、もう一度目を閉じそれから開こうとする。
 しかし目の前の景色は変わらない。
 例えば雪原に寝転がって目を閉じた時、太陽が雪に反射して瞼の裏に焼きついてしまったような、そんな真白い世界。

 その光景は、まだ新しいけどできるだけ早く忘れてしまいたい記憶が蘇るのに十分な効果をもたらした。

 胃袋が、何かに押しつぶされているかのようにずんと重くなる。
 押しつぶそうとしているのはもちろん、疫病神であり諸悪の根源でもあるウェネラだ。
 ヒステリックに喚き散らしたいという心境と諦めの境地の間を漂いながら、とりあえず冷静さを取り戻すべく深呼吸をした。

 辺りが白一色でいまいち分かりにくいが、きっと今自分は目を開けているのだろう。
 そう当たりをつけて、ユイリは気配を窺いながらそろそろと身体を起こした。

 立ち上がると、本当に足がついているのかそれともふわふわ宙を浮いているのか判断できずに、身体がよろめいてしまう。
 重心をどこにかければいいのかとひとしきり悩んだ末に、ようやく安定した角度を見つけて直立不動の姿勢を取った。

 ……座っていた方が、体勢としては楽なような気がする。
 むしろ、そのまま横になって知らないふりをしてしまおうか。
 ぐっすり睡眠をとってすっきり目が覚めてしまった今となっては、横になってもすぐに夢の世界へ滑り込める自信はなかったけれど。

「相変わらずのおバカさんねぇ」
 
 そんなユイリの浅はかさを読んだように嘲笑交じりの声が聞こえてきて、ユイリは一瞬にして凍りついた。

「そんなことをしても無駄だってことが、まだ分からないの?」

 ユイリは動きたくても動けなかった。
 小鳥のさえずりのような愛らしさと毒蛇のような鋭い牙の同居した声には、聞きおぼえがある。
 できることなら、この場から消えてなくなってしまいたかった。
 それでもしぶしぶ後ろを振り返ったのは、ユイリの記憶の中でこの少女が、“逆らってはいけない人”とインプットされているからだった。
 また最初の時のように無視して、延々と果てない縦穴に落とされるのだけは勘弁してほしい。

「ずいぶんとおとなしいじゃない。何か言うことはないの?」

 ユイリは、すっかりおなじみになった女王様ポーズ(腕を組んで右足に重心を置き、左足はやや前に出ている偉そうな姿勢とくれば、女王様以外考えつかない)を取る少女を、やや投げやりな気持ちで見つめた。

「何かって、一体何を言えばいいんですか?」
「あら、ずいぶんと威勢がいいこと。そうねぇ、何も言うことがないんだったら私がここにいる必要はないわね」

 じゃあね。さよなら。

 実際に言った台詞ではないが、ウェネラの表情にはしっかりとそう書いてある。
 本気でどろんと消えてしまいそうな雰囲気に、ユイリは慌てた。

「待って下さい! 冗談です、調子に乗りすぎました、何もないなんて嘘です! だから見捨てないで下さい!」
「無理しなくてもいいのよ。何もないなら仕方がないものねぇ」
「わわっ、待って下さい!」
「困るのは私じゃないし。あとは自分一人の力で頑張りなさいな」
「そ、そんなぁ」

 こんな何もない場所に一人置いていかれるのは困る。
 人っ子ひとりいないのは最初の時ですでに立証済みだから、頼れるのは残念ながらウェネラしかいないのだ。
 悪魔に道先案内を任せるようで、不安要素は満載だったが。
 ここは、恥も外聞も捨てて下手に出るしかない。

 ウェネラは、おろおろしながらも生存本能に突き動かされて考えを巡らせているユイリを、器用に片眉を上げつんと顎を上向けた、いわば“高慢ちきな”女王様ポーズで見つめている。

 そうこうしているうちに、ようやく考えがまとまったのだろう。
 そろそろと顔色を窺うような卑屈さを滲ませているユイリに、鼻の頭に皺を寄せるという仕草で不快を表してみせた。

「これはどう考えても、明らかな人選ミスよねぇ」

 じろりとねめつけられて、ユイリは震えあがった。

「あの方のお考え全てを否定するつもりはないけど、もっとましなのはいなかったのか疑問だわね」
「……」
「顔も頭も性格も見た目も、全てが凡庸。うたに選ばれるくらいだから運の強さはそこそこあるみたいだけど、納得いかないわ」
「……すみません」
「知らないふりして帰っちゃおうかしら」
「いやいやいやいや、最後までしっかり面倒を見ましょうよ!」
「だって。特に言いたいことも聞きたいことも、帰りたくもないんでしょ?」

(帰りたくないなんて、誰が言いました?)

 至極もっともな意見のはずなのに、それすら言えるはずもなく。

 被害者と加害者の立場が逆転している不条理さにはこの際目を瞑り、この場はウェネラが満足するまで謝り倒すしかなさそうだ。

 ユイリは、がっくりと肩を落とした。

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