世界の果てで紡ぐ詩

20.

 知らないはずの言葉であるにもかかわらず、その音をユイリが口にするのは簡単なことだった。

 なぜか震えるほどの敬虔な気持ちがこみ上げてきて、力ある言葉を口にするユイリの声が僅かにかすれた。

「アメシス アドゥナール イオ ラル ディーア インフェリレージ
《そのもの より集いて 我に 更なる力を 与えん》」

 しかしレイの時とは違って、ユイリが言葉を終えても紋様に何ら変化は現れない。
 少しだけ残念な気持ちとそれよりももっと微かなほっとした気持のままレイを見ると、彼もまたユイリと良く似た表情を浮かべていた。

「無理、みたいです」

 レイは、テーブルを凝視していた視線をユイリに合わせてにっこり微笑んだ。

「仕方のないことです。いくら素質があっても、使いこなすにはそれなりの修行が必要ですから。私もそうでした」
「レイさんも?」

 レイは、笑顔のまま頷いた。

「コツを掴むまでが難しいのです。しかしあなたは異世界から迷いこみ、精霊の力がもっとも深いラティスの泉から現れたと聞いています。きっと精霊の加護を強く受けているのでしょう。今はまだ使えなくてもきっといつかは……」

 最後の呟きはユイリの耳には届かなかった。
 ユイリは、別の考えに夢中になっていたからだ。

(精霊の加護って言うと、あのウェネラのってこと? まさか。護られているっていうよりも、すでに放置プレイだし)

 首を振って否定しようとして、ユイリははたと気づいた。
 彼は今、異世界から迷いこんだと言わなかったか。
 それを当然のように話したため軽く流してしまったが、神官長である彼が状況をこれほどまで冷静に捉えているとすれば、疑いは晴れたのだろうか。

 もともとユイリは気持ちを隠すのが苦手なため、レイにはユイリの考えがすぐに分かったようだった。
 レイは、ユイリが赤くなるほどじっと見つめた。
 笑みを消した、怜悧な顔で。

「それは、あなたと実際にお会いして確信しました。状況もあなたが迷い人である可能性を示していますし、例えそれがなかったとしても、あなたの様子を見れば明らかでしたから」

 クラウスにも、似たようなことを言われた気がする。

「私の様子って、そんなに普通じゃないんですか?」
「見た目は変わりませんが、気配が、とでも言えばいいのでしょうか。全ての迷い人がラクリマやそれに準ずる者としての力を持つわけではありませんが、異世界からの迷い人は大なり小なり、ある程度の精霊の加護を持っているのです。ラクリマはご存知ですか?」
「はい、聞きました」

 後から思うと、ここは知らないと言うべきだったのかもしれない。
 誰から聞いたのだと問い詰められても、クラウスから聞いたと正直に話さない方が得策であるように思えたからだ。
 しかしレイは、ただ頷いただけで詳しいことを聞こうとはしなかった。

「あなたにラクリマである可能性がある以上、我々はあなたを保護する義務があります。ラクリマという存在そのものが貴重であり強い精霊の加護を持っているが故に、彼女たちはしばしば危機に立たされることがあるからです」
「危機って、命を狙われているってことですか?!」
「そう捉えていただいても構いません。ラクリマには利用価値がありますからね。……いろいろな意味で」

 そう言ってレイは、視線をタペストリーのある方へ投げかけた。

「お話を聞いて、ますます元の世界に帰りたくなりました」

 ユイリは、力を込めて言った。

 レイの顔に、困惑した笑みが浮かぶ。

「こちらとしてもできれば元の世界へ還してあげたいのですが、残念ながら私はその方法を知る立場にはありません」
「ううっ、やっぱり」
「やっぱり?」
「いえ、なんでもないですから、気にしないで下さい」

 ユイリは、急いで言った。
 神官長であるレイよりもずっと高位にいる(らしい)クラウスでさえ、その方法を知らないと言ったのだ。
 レイが元の世界へ帰る方法を知らなくても、なんら不思議はない。

(ってことは、ウェネラだけが頼みの綱ってこと? ……うわー。絶対に、信用できないし!)

 もしかしたらクラウスは知っていてとぼけているという可能性も考えられなくはないが、あの男がタダで教えてくれるわけがない。
 代償が怖いから、むしろ教えてくれないと諦めたほうがいいような。

 するとレイが、ユイリの考えを読んだかのように提案した。

「もし知っているとすれば中央メセリアの聖神官殿でしょうか。ちょうど視察に来られているので、聞いてみてはいかがでしょう? 異世界からの迷い人はそう頻繁に現れるわけではないので、聖神官殿も時間を取ってくれると思いますが」
「……遠慮しておきます」
「そうですか。まぁ、機会があれば聞いてみるといいですよ。聖神官殿はしばらくウェレクリールに滞在されるということですので、顔を合わせることももしかしたらあるかもしれませんね」
「あははは、そうですね」
「……それとも、実はもう会っているとか」
「……」

 ユイリは、ついと視線をそらした。
 
「黙秘します」

 レイは、楽しそうな笑い声をあげた。

「分かりました。その件については、何も言わないでおきましょう」

 そして優雅な手つきで紅茶を一口飲み喉を湿らせると、じっとユイリを見据えた。

「――では、もう少し有意義な話をしましょうか」
「有意義な話?」
「はい。例えば、あなたのこれからの処遇についてなどいかがでしょう?」

 レイの瞳の中で楽しそうな光が踊り、ユイリは「うっ」と怯んで額に冷や汗を浮かべた。

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