世界の果てで紡ぐ詩

24.

「ところで、祈雨の儀式の件はどうなっている?」

 先ほどとは打って変わった穏やかな疑問を孕んだ声が降って来て、レイは緩慢な動作で下げていた頭を上げた。
 そこには恐怖心を煽る冷酷さは見えなかったが、クラウスが時として仮面を変えるように表情を隠すのに長けていることを知っているため、その真意は分からない。
 そのためレイは、慎重に言葉を選びながら答えた。

「儀式は予定通りに執り行います。儀式の地であるラティスの泉に、彼女が――ユイリが現れたのは予想外の出来事でしたが、支障はございません」
「緘口令は敷いてあるんだろう?」
「はい。この件はほんの一握りの神官と聖騎士にしか知らされていません」
「神官は良いとして、聖騎士か……」
「彼らは有能ですので、問題はないと思いますよ」

 クラウスはゆったりと足を組みかえ、考え込むように顎をさすった。

「有能であることは構わないが、過ぎた才能は疎ましいものだな」
「……?」
「ああ、なんでもない。独り言だから気にしないでくれ。ユイリの経歴については、君が書いた通りで構わないよ」
「ユイリには、烈火の如く怒られてしまいましたが」
「短慮な娘だ」

 ユイリのいない今となってはもはや軽蔑を隠すことなく、クラウスは吐き捨てるように言った。

 その様子を見たレイの顔に、微かな驚嘆が浮かぶ。
 軽蔑とはいえ、クラウスが感情を露わにすることは稀だったからだ。
 いつもは、礼儀正しく当たり障りない笑顔の裏に真実を紛れ込ませるのに、今この瞬間に現れた感情は何だったのか。
 追求すればさぞ面白いに違いない。

 しかしクラウスは素早く元の仮面を被りなおしたため、その機会は失われた。

「……レイ、祈雨の儀式を夏季祭に合わせることは可能かい?」

 レイは、秀麗な顔をしかめた。

「一月以上伸ばせと?」

 間近に迫った儀式のために、国中のアメシスを一か所に集中させた。
 そのために水の力が更に弱まり、旱害の起きる兆しが見え始めている。
 いくらウェレクリールが水の国として名高くとも、国中に水のアメシスが満ちていない今の状況では、民が飢餓や疫病に喘ぎ、水が枯渇することで人の住めぬ町や村ができるのも、時間の問題だった。
 期間が長引けばそれだけ旱害は広がっていき、レイの神官長としての地位は不安定なものになり責任を取る必要性が出てくる。
 権威にしがみつく愚かな真似をする気はないが、自分が失脚して困るのはクラウスではないだろうか。

 レイの疑問を尻目にクラウスは立ち上がり、タペストリーの前まで歩み寄った。
 そこに描かれている水の精霊を見つめ、やがておもむろに手を伸ばし、図柄の一つでしかない少女の頬に手を滑らせる。

 愛しい女を撫でるような仕草であるにも関わらず、レイにはその仕草がまるで憎しみを堪えているかのように見えた。

 クラウスは、タペストリーに手を触れたままレイを振り返った。
 穏やかな表情を保ったままで。

「一時的に、水の加護はウェレクリールに戻る。精霊の力が弱まっているのではなく、アメシスは紋様術で封じられているだけだから、そうすることは簡単だしね」
「大丈夫ですか?」
「僕を誰だと思っているんだい? 封印の紋様術を少し緩めれば良いだけだから、ことは簡単に済むさ」
「あまり無茶なことはなさらぬよう……」
「おや。僕を心配してくれているのかい?」

 軽く笑ったクラウスを呆れ顔で見やり、レイは大きなため息を吐いた。

「人ならざる者の力が動いているのです。心配せずにはいられないでしょう」

 クラウスの視線がタペストリーに動き、その口元が皮肉気な形を作った。

「水の精霊は問題ではないよ。そのために、数年かけて力を削いできたのだから」
「過信は禁物です」

 憂いを浮かべた表情で言い、レイは不遜な表情を浮かべているクラウスをじっと見つめた。

「ですが、一時的にでも水の加護がウェレクリールに戻るのであれば、祈雨の儀式を夏季祭に合わせることは可能だと申し上げておきましょう」

 クラウスは、満足げに頷いた。

「ではそうしてくれ。僕は儀式までの間……そうだな、視察という名目になっているからそれらしさを装わなければいけないとして、あとは怪しまれないようにおとなしく目立たずじっとしているさ」
「ユイリに余計な手出しは無用ですよ。それでなくても、あなたは警戒されているようですから」
「警戒されるような何かをしたわけではないのだけどね」
「彼女は勘が良いのです」
「野生動物は、勘が鋭く気配に敏感だから扱いに困る」

 嘲笑混じりのクラウスの言葉に、レイは返事を返すことなくただそっと顔を伏せた。

 世界が動き始めようとしている。
 それはユイリがこの世界に現れたことに端を発し、その影響は人々の預かり知らぬところで徐々に広がっていくだろう。
 クラウスの目的が例え女神を冒涜するに等しいことだとしても、レイはそれを止める術を持たないし、また止めるつもりもなかった。
 一つだけ確かなのは、レイにとって女神エレスティアの教理よりも遥かに、クラウスの言葉の方が重要であるということ。
 世界の均衡が崩れ調和が乱されようとも、それだけは変わらない。

 レイは、タペストリーの前に凝然と立つクラウスの足元に跪いて、力ある女神の言葉を吐息に重ねた――。

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