世界の果てで紡ぐ詩

27.

 同じ敷地内にあるとはいえ、アデレイド女学院への道のりもまたそう簡単に覚えられるものではなかった。
 優美な回廊を5つ渡った時点でそう結論付けたユイリは、前を行くジェイ・コートランドの背中を足早に追いかけながら考え深げに眉を寄せた。
 一人ぼんやりと思案にふけっていたからだろう。
 ジェイが立ち止まったことに気づかなかったユイリは、その硬い背中に顔面を思い切りぶつけてしまった。

「い、いひゃい」

 ユイリは、涙目で鼻を押さえた。
 そして鼻柱が折れずに、元の形を保ったまま顔の中央で鎮座していることを確かめてほっと胸を撫で下ろす。

「何をしているのだ、お前は」

 呆れ果てた声音は、ユイリが鼻をぶつける元凶ともなったジェイのもの。
 ユイリは彼に対する苦手意識を吹き飛ばす勢いで、その整った顔を睨みつけた。

「何をって。あなたが急に立ち止まったから、背中にぶつかったんじゃないですか」

 ジェイは眉を吊り上げて威勢良く苦情を訴えるユイリを無表情に眺めて、特に感銘を受けた様子もなくあっさりと言った。

「回りを見ずに歩くからだ」
「……ごもっともな意見をどうも」

 ジェイは、憮然とした面持ちのユイリを不思議そうな眼差しで見つめた。

「何を考えていた?」
「は?」
「歩きながら何かを考えていたのだろう」
「……。あなたは背中に目でもついているんですか」

 ユイリは嫌味のつもりで言ったつもりだったが、ジェイは至極真面目な表情で首を横に振った。

「私の背中に目はついていないし、そのような馬鹿げたことを言ったのはお前が初めてだ」
「……」
「それで。一体何を考えていたのだ」
「ただぼんやりしていただけですけど」
「私の背中を睨みつけていたではないか」

 尚も食い下がる。

 ユイリは、疲れ切ったため息を吐いた。

 通路用としての用途しかない廊下は、ユイリとジェイを除いて誰もいない。
 閑散とした静けさに包まれてはいたが、いかんせん静かな空間では話声が反響して常にも増して響いて聞こえる。
 誰かに聞かれて困るような話題ではないが、ばつが悪いことに変わりはない。

 ユイリの視線が、挙動不審さを伴って左右に動いた。

「睨んでいたわけじゃなくて……あなたはどうして私の身元引受人になったのかなって考えていたんです。だってあなたは最初、私を不審人物扱いしたし」

 後半は尻切れトンボに小さな声になったが、ジェイは「あぁ」と肩をすくめた。

「レイフォード卿のご命令は絶対だからだ」

 レイフォード卿がレイのことを指すのだと理解するまでに、不覚にも数秒間を要してしまった。

 ユイリはそれを隠すように、わざとらしい咳払いをした。

「レ、神官長サマの命令だから、私の言葉を信用する気になったってことですか?」
「そうではない」

 ジェイは苛立たしげにユイリを見つめた。

「私はお前を信用する気はないし、今でも得体の知れないものと認識している。私は……立場上ある程度伝承に触れていると自負しているが、それでもお前の存在については腑に落ちない点が多すぎるのだ」
「……何それ」
「お前が迷い人であることは信じよう。そしてお前にはおかしな気配が纏わりついていることもまた確かだ」

(それって間違いなくウェネラだよねぇ)

「お前が現れたラティスの泉は、本来人とは相容れぬもの。それほどまでに強い水の恩恵を受け、精霊の加護深い場所なのだ。それにもかかわらずいかに迷い人とは言え、ただ人が泉の中から現れるなどあってはならないことだとは思わぬか?」
「そんなこと私に聞かれても」
「そして時期もそうだ。今は水の力が弱まっているのに、なぜ女神はよりによってウェレクリールに迷い人を呼んだのか。不可思議なことが多すぎる」
「……」

 ユイリは答えることができず、口をつぐんでしまった。

 一瞬脳裏を掠めたのは、全ての始まりとなった白い空間でのウェネラとのやりとり。

 “うたに選ばれた”
 “世界の均衡を保つという重要な役目”
 “運命”

 思いだせるキーワードを並べてみるがユイリ自身分からないことは多く、またウェネラも詳しいことは何も話してくれなかった。

(そう言えば楽譜は?!)

「……返すって言われたのに、いつの間にか消えてなくなってたんだったよ」

 ユイリはぽんと手を叩いた。

 自問自答するユイリとはこれ以上関わりあいになりたくなかったのか、ジェイは痛々しいものを見るような目でユイリを見つめ大きなため息を吐くと、さっさと先に立って歩き出してしまった。

 僅かの間をおいてジェイの後を慌てて追いかける羽目になったユイリのジェイに対する評価が、また一段と下がったことは言うまでもない。

inserted by FC2 system