世界の果てで紡ぐ詩

28.

「ちょっと! 人に話を振っておいて、置いてけぼりは酷いんじゃないですか?!」

 ユイリはジェイの半歩後ろに追いつくと、声と息を荒げてそう言いつのった。
 せっかく一生懸命考えていたのに、肩すかしをくらった気分だ。

 ジェイは、微かな苛立ちを眉間のしわにこめてユイリを見つめた。

「お前と話をすると疲れる」

 しかしその答えはにべもない。

 そこに本気で疲れ切ったため息を聞きつけたものだから、ユイリとしてはますます面白くなかった。
 確かに、最初の時と比べれば冷たい気配は多少和らいだような気もするが、厄介なお荷物を引きうけてしまったと思われていることは間違いない。
 初めて身元引受人としてユイリの前に現れたジェイは、今すぐ逃げ出したいとばかりに早口で話しながら時折ため息を零していたことを、耳ざといユイリが聞き逃すはずはなかった。

「私もあなたと話していると、すっごく疲れてきます」

 ジェイは、スカートの裾を踏まないように、そしてジェイの歩幅に合わせようと無駄な努力をしているユイリにちらりと視線を送った。

「ならば無理に話さずともよかろう」
「そう言うジェイさんは、もっとデリカシーを持って話したらどうですか」
「……? でりかしーとはなんだ?」
「目配り気配り心配りのことです! あぁもう! なんで嫌味で言った言葉の意味を、私がいちいち説明しなきゃいけないんですか?!」

 これでは嫌味もかたなしではないか。

 ココがいたら間違いなくたしなめられるくらい大きな足音を立てて、ユイリは階段を駆け上った。
 息も服も乱れていないジェイがのうのうと前を歩きながらため息を吐いたのが、見上げた先にあった頭の動きですぐに分かって更に最悪な気分になった。

「お前の言葉は分からぬことが多い。異世界からの迷い人とは、皆そういうものなのか?」
「そんなこと知りません!」

 ユイリは目を吊り上げて怒りの表情を作ったが、前を行くジェイには見えるはずもなかった。
 
「大体、私よりあなたの方が詳しいんじゃありませんか? その異世界からの迷い人とやらについては」
「……伝承の範囲内で、かつ神殿に伝わり私が目にすることを許された記録であれば、ある程度は知っている」
「それを教えてくれる気は」
「ない」

 ジェイの隣にようやく追いついたユイリが伺うように顔を覗き込むと、さっと視線をそらされた揚句にきっぱりと拒絶されてしまった。

(絶対にそう言うと思ったよ)

 ユイリは心の中で生温い笑みを浮かべつつも、首をかしげた。

 それとも、迷い人についての記録や伝承は、一般人に対してトップシークレットになっているのだろうか。
 でも、だったらどうして?

「迷い人は、そのほとんどがラクリマとしての素質を持っているとされる。故に、多くの言葉では語れぬのだ」
「それはラクリマって人たちが、えーと……メセリア、で一番偉いから?」

 ジェイの態度やその後に続く言葉には、一切の澱みはなかった。
 しかし一瞬歩調が乱れたところを見ると、少しはユイリの言葉に驚いたのかもしれない。

「大分この世界についての知識を仕入れたようだな。誰がお前に教示したかは、あえて聞くまい」
「……知ってるくせに」

 ぼそりとつぶやいたユイリの言葉をあっさりと黙殺して、ジェイは言を継いだ。

「お前の言う偉いがどの範囲を指すかは分からぬが、私であればそのような言葉は使わない。あえて言うなら――神聖不可侵な絶対的立場にありながら、その存在価値はあまりにも儚い」
「うわぁ。なんか微妙な立場っぽいですね」
「微妙、か。そうかもしれぬ」
「ジェイさんの言い方を聞いていると、何だか権力闘争に利用されるっぽい感じがします」

 ふむふむと偉そうに頷いているユイリを見て、ジェイは傍目でも分かるくらいの渋面を作った。
 ユイリの解釈が見当違いのもので呆れているのかもしれないし、言い過ぎたことを後悔しているのかもしれない。
 ラクリマについて多くの言葉では語れないと言ったことから考えるに、後者のような気もするけれど。
 ともかくジェイの考えていることをユイリがいくら考えても、分かりようがなかった。
 この話はここまでと言わんばかりに、ジェイがユイリの言葉に返事を返すことはなかったからだ。
 代わりにジェイは、前を見つめたまま平坦な口調で言った。

「ラクリマについて知りたくば、聖劇を実際に見る方がいいだろう。アデレイド女学院で演じる聖劇は、民衆に伝わるそれより遥かに伝承に近いからな」
「聖劇って、夏至祭とかでやる劇、でしたよね?」
「そうだ。学院に入学するからには、お前もある程度は関わることになる。それに今回は特別なのだ」
「特別?」

 ジェイは一瞬堅く口を引き結んでから、周囲を気にするように声を低めた。

「祈雨の儀式はおよそ二月後に執り行われる。……そして夏至祭が始まるのも、およそ二月後だ」
「それって!」

 驚いて声を大きくしたユイリをジェイは視線だけでおとなしくさせ、優美な回廊を渡った先でようやく立ち止まった。

「これは独り言だが、この一件には聖神官殿が関わっていると私は考えている。レイフォード卿ならば、民衆が苦しむと分かっていながらあえて祈雨の儀式を伸ばすことはしないだろうし、僅かとはいえ水の加護がウェレクリールに戻ったことで、議会はこの提案を承知せざるを得なかった。これを女神のご意思だという者もいるが、私にはそうは思えぬのだ」
「……どうして私にそんな話をするんですか?」

 ユイリは不審者で、信用に値しない人物のはずだ。
 それなのに、これまでユイリに対して慎重に行動してきたはずのジェイが、このような重要事項を話してもいいのだろうか。
 今度はユイリが、ジェイに対して疑心暗鬼になる番だった。

 その考えを表情に出したままジェイを睨みつけていると、ジェイはユイリの方を向いてふと頬の筋肉を緩めた。
 微苦笑とでも呼べそうな感情をジェイの顔に見つけてしまい、顔が赤らんだことでさらにユイリはたじろいだ。

「な、なんなんですか」
「確かにお前を信用するのは難しい。しかし、聖神官殿の考えや思惑は、私にとって蔑むべきものなのだ」
「? クラウスの考えと、思惑?」

 ユイリはクラウスと名前で呼んでしまったことに気づかなかったが、ジェイはそれに気づいて一瞬眼光を鋭くした。

「安易に回りの者を信用すべきではない。特にお前は……とても不安定な立場にいるのだから尚のこと。それが私からお前に与えることができる、たった一つの忠告だ」
「はぁ。それは、どうもありがとうございます」

 わけが分からずクエスチョンマークを脳裏に幾つも浮かべたまま、ユイリはともかくお礼を口にした。
 その様子にジェイはため息をついたが特にコメントは残さず、ユイリがこれから学び生活することになるアデレイド女学院へ続く通路を、その後は無言で進んだのだった。

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