世界の果てで紡ぐ詩

33.

 三人が話しこんでいる間にどうにかして抜け出せないかとなんとか立ち上がり少しずつ後退を始めたユイリだったが、その目論見はあっさりと見破られることとなった。
 冷たい手で首根っこを掴まれたユイリは、ひくっとおかしなしゃっくりをして首をすくめた。

 恐る恐る手の主を見ると、ミリセントが全てを見通した微笑みを浮かべている。
 ユイリは猫が毛を逆立てるように、全身に鳥肌を立てた。

「わたくしたちが話している間に逃げようとでもいうの、子猫ちゃん?」
「ま、まさか」

 心外だと言わんばかりの表情で無邪気さを装うユイリを、ミリセントは冷やかな笑みを浮かべて見つめ返した。

「逃げ出すということは、後ろめたいものを持っている証なのよ。ねぇ子猫ちゃん、改めて聞くけれど、お前は一体何を隠しているの?」

 隠していることなんて、山ほどある。
 それが後ろめたいことかはまた別だが、正直に全てを打ち明けてしまうにはあまりに奇異な事情を抱えていた。
 結果、そのことについてユイリは貝のように口を閉ざすことになる。
 それがどれほどの疑いを招くか気づかないまま、ユイリはミリセントから素早く視線をそらした。

「何も隠していないですけど」

 とりあえず、言葉で無害さをアピールしてみる。
 表情もそれらしさを作ってみたが、自分でも上手くいったとは思えなかった。

 案の定、ミリセントは絶対零度の微笑みを浮かべてユイリに詰め寄った。

「あぁら、隠しても無駄よ。お前は誰かに命じられてこの学院に入り込んだのでしょう? 正直にお言い」

 尊大な物言いにいくぶん青褪めながら、ユイリは慌ててミリセントの手を振り払った。
 あいにく頭の後ろに目はついていないので見ることはできなかったが、掴まれていた首根っこに指の跡がついていることは疑いようがなかった。
 手がまだそこにあるかのように、おかしな違和感がある。

 その痛みに勢いづけられて、ユイリは最初よりも強い口調で否定の言葉を口にのせた。

「私がこの学院に編入したのは、誰かに命じられたわけではありません」
「戯言だわね。アデレイド女学院に編入生など前代未聞。何か裏があるに決まっている」
「そんなの、あるわけないじゃないですか!」

 ユイリは、思わず声高く否定した。
 しかし言われて考えてみると、自分の意思でというには無理があるような気もする。
 結局はアデレイド女学院への編入を提案したのはレイだし、上手く理由づけをしてユイリを納得させ最終的には頷かせたのだから。

 考えれば考えるほど行き詰まり、ユイリは混乱してきてしまった。

 その様子を見ていたミリセントが、嘲りを隠すことなく鼻で笑った。

「ほらごらん、何かやましいことがあるって顔をしている」
「やめなさい、ミリセント」

 意外にも、助け舟を出してくれたのはレイスだった。
 レイスは、軽くため息をついた。

「編入生が怯えている。君の聞き方は威圧的すぎるから、それじゃあ聞けるものも聞けやしない」
「わたくしはただ、この子猫ちゃんの背後関係を明らかにしたいだけよ。正直に話せばいいのに、下手に隠し立てしようとする方が悪い」
「でも、本当に何も知らなかったらどうする?」
「……わたくし、この方は何も知らないのではないかと思います」

 一連のやり取りを無言で観察していたシェイラが、間に入って言った。
 小さく滑らかな手でユイリの手をぎゅっと握り、金茶色の瞳に優しさを滲ませた笑顔を浮かべる。

「この方が隠しごとをしていることは間違いないけれど、それはわたくしたちにも言えること。だから不思議ではないでしょう? それに、学院へ編入した目的も悪意あるものとは思えないの。だから……少なくとも、この方は学院で何が起きているかは知らされていないんじゃないかしら」
「……シェイラが言うんだから、間違いはない。下がりなさい、ミリセント」

 レイスの言葉に、ミリセントはあからさまにがっかりした顔をした。

「夏季祭も間近な今頃に編入してきたというのに、何も知らされていないというの? 様々な憶測が行き交っていたから期待していたのだけど、がっかりだわ」

 ユイリは顔をしかめた。

「お、憶測?」
「そう。お前が編入してくることは、学院でも大きな注目になっていたのよ。大それた噂話の中に幾つかの真実が紛れていることが明らかになった時点で、セシリアたちも目の色を変え始めていたから」
「あなたが神官長様からの推薦を受けて編入してくることは、調べればすぐに分かることですもの。そして、聖騎士団の騎士様があなたの後ろに控えていることも、ね」

 シェイラが、悪戯っぽく言葉に含みを持たせた。

「あなたは編入前から注目を浴びていたの。アデレイド女学院に編入生などとても稀なことだし、ある程度の情報網を持っている者であればあなたの存在価値に気づくことも容易たやすいことなのよ」

 さらに困惑したユイリは口ごもった

「あのぉ、それって私のことを言ってます? ……私にはなんの価値もないと思いますけど」

 ユイリの言葉に、ミリセントは頭をそらせて居丈高な笑い声をあげた。

「あらあら、ずいぶん呑気なこと。明らかになっている情報だけでも価値は大ありだというのに、本人は全く気づいていないだなんて!」
「君はこの学院で生活していくには、あまりに無防備すぎるね」

 口々に言われて、さすがのユイリもむっときた様子で唇を引き締めた。

 なにも好き好んで学院に編入してきたわけではないのに、この言われようはなんなのだろう。
 これ以上悪いことは起こるわけがないと高を括っていたが、はたして本当にそうなのか自信がなくなってきた。

 腹立たしさ半分惨めさ半分でますます気分を落ち込ませているユイリに、シェイラが金茶色の瞳を優しく和ませて言った。
 ユイリには、到底同意しかねることだったけれど。

「あなたは運が良かったのだと思います。最初に会ったのがセシリアたちではなく、わたくしたちだったのですもの。今日この日この時を与えたもうた女神に、感謝と深い祈りのうたを捧げなければいけませんわね」

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