世界の果てで紡ぐ詩

34.

 毎朝晩にある礼拝は、女学院に通う少女たち全てに定められた務めだった。
 普段は頭巾を脱ぎ捨て楽しげに振る舞う彼女たちも、この時ばかりは堂内を包む厳粛な空気の中で正装を身に纏い楚々として振る舞っている。
 もちろん、ユイリとて例外ではない。
 抑揚のない声音で語られる言葉に耳を傾け、女神エレスティアへの祈りを捧げてオルガンに合わせ聖歌を歌う。
 一種独特な雰囲気の中に身を置きながらも、ユイリは両隣をがっちり固める気配が気になって仕方がなかった。

 穹隅きゅうぐま上の円天井の基部を環状に並んだ窓からは、柔らかな朝の光が差し込んでいる。
 少女たちの澄んだ歌声と一緒に、ユイリの諦めきったため息が遥かな穹窿きゅうりょうへと吸い込まれていった。

 朝の礼拝が終わると、堂内を満たす空気が一変した。
 少女たちが笑いざわめきながら、堂内から出る道すがらユイリたちに視線を送っては囁きがさざ波のように広がっていく。
 中には冷ややかな敵意のようなものも含まれていて、さすがのユイリも辟易してしまった。

 こそこそと背中を丸めるユイリに、レイスは憐れむような眼差しを向けた。

「今からそんな調子では、この学院で生き残ることはできないよ」

 三人に合わせて足を運んでいたユイリはその瞬間ぴたりと立ち止まり、何事かいぶかしげに見つめる少女たちを前に、さぁっと顔から血の気を引かせた。

「アデレイド女学院て、そんなに危ないところだったんですか?」
「馬鹿ねぇ。アレイシアが言ったのは、比喩的な表現に決まっているじゃない」

 目を細めてミリセントが答え、シェイラは言葉を補うために口をはさんだ。

「でも用心するに越したことはないと思うわ。学院は中央メセリアへ行くための登竜門になり得る場所だけど、全員が行けるかと言われればそういうわけではないのですもの」
「つまり?」
「こういうこと」

 いつの間にか背後に来ていたミリセントに耳元で囁かれ、ユイリは声にならない悲鳴をあげた。
 その反応に気を良くしたミリセントは、長く鋭利に整えられた爪の先をユイリの首元にあてて、すっと真一文字に首を切る仕草をする。
 ユイリは全身を総毛立たせて、ミリセントの腕からもがき出た。
 涙目で首元を押さえながら、抗議すべくミリセントを振り返る。

「な、ななななにするんですか?!」
「なにって、実地で教えてあげようと思ったのだけど。学院で背後に気を配らないということは、自ら死を招くようなこと。見るからに鈍臭そうなお前に言っても無駄かもしれないけれど、忠告しておいて損はないでしょう」
「忠告が無駄にならないといいけどね。彼女は、自ら騒動を引き寄せそうなタイプだから」
「もう、二人とも! 言い方を考えてちょうだい。ごめんなさいね、悪気があるわけではなくて、ただ言葉を知らないだけなのよ。でもミリセントが言うことは正しいわ。学院が人の生き死にすら左右する場所であることは、間違いないもの。だからユイリも気をつけないとだめよ」

 重い忠告を軽く言葉にのせるシェイラに頷きかけたユイリは、その桜桃色の唇から自然に零れた自身の名前という不自然さにはたと気づいた。

(あれ? 私、自己紹介したっけ?)

 ユイリが首を傾げていると、レイスの生真面目な視線に微かな苛立ちが浮かんだ。

「それくらい調べられないようでは、この学院ではやっていけない。君の名前はユイリ・サヴィア。出身はアルストゥラーレで、裕福な豪商の娘だ。ウェレクリールには親類を頼って来たということになっているけど……個人的な意見を言わせてもらえば、信憑のほどは定かではないと思うね」

 当然のように語られた言葉は、レイがでっちあげたユイリの経歴。
 信憑性どころかほとんどがユイリには全く身に覚えのないことだが、一応個人情報であることは間違いなかった。
 それが筒抜けになっているということは……

「……ここは、個人情報保護法が通じない世界ということですね」

 ユイリは、深々と頷いた。

 情報が噂の域を超えていないのなら知らぬ存ぜぬで通すことはできるが、こうもはっきり――レイがでっち上げた――ユイリの経歴を言われてしまうといっそ清々しい。
 ユイリの知る学校という概念からますます遠ざかって来て、虚ろな笑いを口元に浮かべるしかなかった。

 個人情報に重きを置いていない筆頭であるらしいミリセントは、そんな当たり前のことを改めて言うなんてどうかしていると言わんばかりの顔をしている。

「学院において情報は、もっとも価値あるものなのよ。閉塞的な環境下でより多くの情報を集められれば、それだけ有能さが認められる。子猫ちゃんには到底無理そうな技能だけれど」
「ミリセント!」

 シェイラは、つんと澄まし顔のミリセントに頬を膨らませた。
 腰に手を当てる仕草と合わせて本人は憤慨した表情を作っているつもりらしいが、もともとが風に揺れるたおやかな花のように優しげな物腰のため、本人が狙っているほどの効果は発揮できていない。
 それでもミリセントは面倒臭そうに肩をすくめ、とりあえず一時的に口をつぐんだ。

 ユイリに向かい直ったシェイラは、屈託ない笑顔を浮かべて口を開いた。

「今さらだけど、改めて自己紹介させ ていただくわ。わたくしはシェイラ・アシュトレイアと言います。背の高い彼女が、アレイシア・フォークロア、そして」
「ミリセント・ストゥレインよ。ちゃんと覚えられて?」

 紫色の瞳にからかいの色を浮かべて、ミリセントが後を引き継いだ。

 ユイリは、思わず沈黙してしまった。
 ミリセントの言葉に腹を立てたわけではなく、聞きなれない音の響きに頭が混乱していたからだ。
 しかしレイの言ったこと考えれば、名前に重きを置く必要はないのかもしれなかった。
 結局は、偽名ではないにしろ今彼女たちが名乗ったのは真実の名前ではないのだから。

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