世界の果てで紡ぐ詩

35.

「ええと。それで、そのとんでもない噂は一体どこから出できたんでしょう?」

 これがもし人ごとだったら、大いに笑えたかもしれない。
 目の前で、あからさまにユイリと噂の人物像を比べて笑っている三人を見てユイリは思った。

 場所は礼拝堂から食堂へ移って、なんとなく流されるまま四人でテーブルを囲んでいる。
 学生寮の一階に位置する大きな食堂では、他にもたくさんの少女たちが各々朝食を楽しんでいた。
 中には一人物静かに朝食を取っている少女もいたが、ほとんどが幾つかのグループに分かれて席についているのを見て、一人ぽつねんといる羽目にならなくて良かったとユイリは自分を納得させた。

 中庭に面した回廊からは眩しい光がそそぎこみ、朝の食事と会話に笑いざわめく少女たちを不思議な色合いに染めている。
 不貞腐れたまま何となく視線を走らせていると、なるほどここが別世界だと妙に納得してしまった。
 服装こそ簡素な白と黒の制服ではあったが、窮屈な頭巾を脱いだ彼女たちはどんな薬品で染め上げたのだろうと首を傾げてしまうほど鮮やかな髪の色をしている。
 ユイリと同じ黒髪の少女もいれば、白と見紛うほど薄い金色の髪を持った少女もいて、見慣れていないユイリはすぐに目がちかちかしてきてしまった。
 かく言うシェイラ、アレイシア、ミリセントの三人もそれぞれ異なる色彩を纏っていて、一瞬だけ羨ましいなぁと思ってしまったユイリであった。

 質問とは違う意味でがっくり肩を落としてしまったユイリを見て、シェイラが波打つ小麦色の髪を揺らして小さな笑い声をあげた。

「噂というのは、得てして大げさなものだわ。わたくしたちだって、噂の全てが事実であるとは思っていないもの」

 たっぷりの蜂蜜を塗ったパンを口に運びながら、レイスがしみじみと頷く。

「そうそう。実際に君を見て、自分の情報収集能力を疑ってしまったしね。見慣れない顔だから編入生だと言うことはすぐに分かったけれど、ここまで……何も感じられない子が来るなんて思いもしなかった」
「神官長様から直々の推薦があったなんて大それた噂、本当はお前が流したわけではないでしょうねぇ?」

 銀灰色の髪房を弄びながら疑わしげに目を細めるミリセントに、ユイリはびっくりして首を横に振った。
 言うにことかいて、まさかそんなことを疑われるとは。
 ユイリからすれば傍迷惑でしかない噂を、どうして自ら吹聴して回らないといけないのだろうか。

「それだけは、絶対にあり得ません! 大体、なんで私がそんなことをしなくちゃいけないんですか!」
「さあ。目立ちたいからかしら?」
「……まずあり得ないし」

 ユイリはげんなりした口調で力無く否定すると、まるでそれが元凶であるかのように勢いよくパンにかぶりついた。
 もぐもぐと咀嚼して飲み物と一緒に飲み込み、スカートに落ちたパン屑を躊躇いなく床に払ってナプキンで口元を拭う。
 痛いほどの視線を感じて顔を上げたユイリは、三人に何とも言えない顔つきで見られていることに気づいて首を傾げた。

「私の顔に、何かついています?」
「いや。まぁ、そういうわけではないんだけど」

 レイスは歯切れ悪く否定してシェイラは首を振って天井を仰ぎ、ミリセントは紫色の瞳を意地悪く輝かせた。

「経歴は誤魔化せても、資質は身分や育ちを露呈する鏡になる。貴族でなくとも裕福な豪商の出ならばある程度の所作は身についているはずだけど、子猫ちゃんはそれがなっていないようね」
「でも経歴に手を加えるなんて、そう簡単にできるものではないわ。だってここは、神殿付属の女学院ですもの。よほどの影響力を持つ方じゃないと無理よ」
「例えば神官長様とか?」
「……」

 レイスの言葉に、二人は黙り込んでしまった。
 どうやら自分のことを話しているらしいが、口をはさむタイミングを完全に逸してしまったユイリは、とりあえず無難におとなしくしていることにした。
 内心、核心をつく質問をされたらどうしようと冷や汗を流しながら。

 そんなユイリの心配を余所に、レイスは落ちてきた濃い褐色の髪を耳にかけるとユイリが怯むほど強い視線で見据えた。

「君は噂の出所がどこかと聞いたけど……知りたい?」

 意味深にそんなことを聞かれて、ユイリは勢い良く首を横に振った。

「いいえ、知りたくないです。噂なんてろくなものじゃないから、そのことは綺麗さっぱり忘れることにしました」
「さっきと言っていることが違うじゃない」

 猫がネズミを追い詰めるように、ミリセントは銀色の睫毛を狭めて値踏みする目でユイリを見つめた。

「まぁ、お前にも想像はついているみたいだけれど。編入生というのは確かに稀だわ。でもね、わたくしたちを動かしたのはその内容と噂の出所」
「どういう噂かは、あなたにお話しした通りよ。もちろん、悪意を持って学院に編入してきたのでないことは分かります。あなたは――謎めいた方ね。上手く言えないのが口惜しいくらい」

 その言い方は、褒め言葉にも逆の意味にも取ることができる。
 シェイラの表情を見て、どうやらそのどちらでもなく中間を彷徨っているような曖昧な位置にあるものらしいと当たりをつけた。

 しかしだからと言って安心できるものではなく、次に続く言葉が何か見当がついている分、どう言い訳したものかとユイリは必死に知恵を絞らなければいけなかった。

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