世界の果てで紡ぐ詩

44.

 講義の終わりを知らせる鐘の音を合図に、ユイリとレイスは衣装作りという地味で根気のいる仕事から早々に退散することにした。
 この点に関して二人の意見が完璧に一致したのは、針仕事に対して天賦の才を見出すことができなかったからだ。
 手先の不器用さにかけては、ユイリもレイスもそれほど変わらない。

 人気の少ない講堂から出たユイリは、大きく背伸びをした。

「あー疲れた。講義が短縮されるのは嬉しいけど、これが毎日続くのは勘弁してほしいよね。シェイラ達は下級生が衣装作りをしてくれるからいいけどさ。あっ、ねぇアレイシア。シェイラとミリセントのところに行ってみない?」

 レイスは少し躊躇った後に、頷いた。

「もう練習も終わった頃だし、行ってみようか。……あまり気乗りはしないんだけど」
「どうして?」
「……。行けば分かると思う」

 ますます意味が分からなくて、ユイリは首を傾げた。

 聖劇において重要な役どころに配されているシェイラとミリセントには、講堂の棟最上階の舞踏室が割り当てられている。
 そこには、今回“悲哀の聖女”役を演じる少女もいるはずだった。

 レイスが気乗りしない様子なのは気になったが、せっかくなので聖劇の練習風景を見てみたいという気持ちの方が強かった。
 それに。

(“悲哀の聖女”を演じるのが、どんな子なのか見てみたいし)

 アデレイド女学院に編入して間もないユイリは、実はまだこの少女を意識して見たことがなかった。
 物静かで、聖女という代名詞が似合いそうな少女であることは間違いないのだけれど。

「気になる?」

 突然レイスが言いだした。

 ぎくりとして一瞬歩調が乱れたユイリは、隣を歩くレイスの何気ない顔を見て、やはり何気ない風を装うことにした。

「まさか。別に気にならないよ」

 とっさに吐いた嘘に思わずうろたえているユイリを見て、レイスは静かに笑った。

「嘘つきだね、ユイリは。でも――今はまだ、何も話さなくていいよ。聞きたいことは山ほどあるけど、時期じゃないから」
「えっと」
「でも嘘を吐くなら、もっと上手に吐かないと。その点は、ミリセントを見習った方がいいと思うね」

 彼女は、真実の中に嘘を紛れ込ませて惑乱させるのが得意だから。

 とても褒めているような言い草ではなかったけれど、その通りだったので何も言わず頷くことにする。

 それよりも、レイスの言葉の方が気になった。
 まるでユイリが隠している何かを理解しながらも、話せない特殊な事情を抱えていることを知っているような言い方。
 もちろん、ユイリの考えすぎという可能性は高いが。

「ユイリ! どこに行くつもり? 舞踏室はこっちだよ」
「え? あ、ごめん!」

 ぼんやり歩いていたユイリは、レイスの言葉で我に返った。
 素通りしようとしていた階段に慌てて引き返し、レイスにへらりと笑いかける。
 呆れたような眼差しのレイスを見て、先程の会話が途中で打ち切られたことにホッと安心した。
 ユイリにとっても、話しづらい話題ではあるのだ。

 それっきり会話もなく舞踏室に続く廊下を歩いていたユイリは、目的地に近付くにつれてたむろする学院生の数が少しずつ増えていることに気がついた。
 下級生と見られる少女たちは、何やら興奮気味に囁き合いながら廊下を歩くユイリとレイスにも好奇心に満ちた視線を向けてくる。
 いまだ注目されることに慣れていないユイリは、そっと首をすくめた。
 小走りに前を歩いていたレイスに追いつき、その左腕をつかんでさらに縮こまる。

「アレイシアが気乗りしない理由が分かった」

 レイスは掴まれた腕を見て、次いでユイリのげっそりした顔を面白そうに見つめた。

「これくらいで参っているの? 舞踏室の外にいるってことは、まだ慎み深い方だと思うけど」
「どういう意味?」
「だって、そこまで大胆になれない子たちが扉の外からそっと覗いているわけでしょ? 舞踏室を占拠している子たちに比べたら害はないよ。――ほら、入るよユイリ」

 掴んでいた腕を逆に引かれて、前のめりに倒れかかる。
 何とか体勢を整えたユイリは、掴まれていた腕を振りほどいてレイスに抗議すべく顔をあげ――絶句した。

 広い板張りの床を持つ教室は正面が鏡張りになっていて、広さだけならユイリが通う高校の教室をちょうど三倍した位の広さを有していた。
 ユイリが驚いたのは、その広さでも正面の鏡に映った自分たちの姿を見たからでも当然なく、左右の壁際を埋め尽くす少女たちの群れのせいだった。

 舞踏室に新たな来訪者を迎え、少女たちの視線が一斉にこちらを向いたものだから、ユイリは震え上がってレイスの後ろに隠れた。

「な、なななな何でこんなに人がいるの?!」
「見学者」

 そんなことは、見れば分かる。

 わざとか単に鈍いだけか、当たり前のことを返すレイスの服の裾を、ユイリは思い切り引っ張った。

「私が言いたいのはそういうことじゃなくて」
「アレイシア! ユイリ!」

 ユイリの声に被さるように、シェイラが嬉しそうな歓声をあげて駆け寄って来た。
 同時に嫉妬深い視線が突き刺さったような気がして、ユイリは更に逃げ腰になる。

 そんなことはお構いなしのシェイラは、ふんわりと制服の裾をなびかせてレイスに抱きついた。

「どうしてここに? 衣装作りは終わったの? でもアレイシアはそういう細かいことは苦手だから、まだ終わっていないのかしら? ともかく、来てくれて嬉しいわ。もちろんユイリもね」

 最後はユイリに向かって、愛らしい微笑みを浮かべる。

 相変わらずスキンシップ過多なシェイラについていけないらしいレイスは、顔をしかめて体を捩った。

「アデレイド女学院が気の抜けない場所だとしても、シェイラのせいで恨まれるのだけは絶対に遠慮したいんだけど」
「あら、わたくしは何もおかしなことはしていないわ。もし恨まれるとしたら、それはアレイシアに問題があるからじゃなくて?」

 なんとも無邪気な切り返しだった。

 反論しようと口を開きかけたレイスだったが、何度か口を開け閉めしたものの結局何も言えずに、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
 ユイリは、少しだけレイスに同情してしまった。

「誰かと思えば、そこにいるのはアレイシアじゃない。……それに、ユイリも」

 ついでのように呼ばれたユイリは、さすがにムッとして声の主に視線を向けた。
 途端、ユイリの口があんぐりと開けられる。
 
 特に台詞もなく稽古の必要がないユイリとレイス、そして台詞はあってもそれほど動き回らないシェイラは制服を着ていたが、すでに立ち稽古に入っているらしいミリセントは、ぴったりとした黒の上下を身につけていた。       
 思わず豊かな胸元に釘づけになってしまったユイリは、慌てて首を振った。
 ないもの強請りなのは分かっていても、ついつい比較して羨ましいなぁと思ってしまうのが悲しい女心なのである。

 ミリセントは、ユイリの視線を辿って妖艶に微笑んだ。

「良かったわねぇユイリ、台詞のない侍女役で。お前がこの服を着たら、詰めるところが多すぎて衣装係りが大いに迷惑したでしょうから」

 じろじろ舐めるように見つめられて、ユイリは反射的に胸元を手で覆い隠した。

「そんなこと……ない、こともないかもしれないけど! でも私は人並みだもん!!」
「ふぅん。人並み、ねぇ」

 意地悪な顔で覗き込まれそうになって、ユイリはレイスの背中に隠れた。
 しかしレイスは我関せずとばかりに嘆息するばかりなので、代わりにシェイラがミリセントをたしなめる。

「だめよ、ミリセント。そんなことを言って、ユイリがもし気にしてしまったらどうするの? そういう微妙な話題は仄めかす程度じゃなきゃ、ユイリが可哀そうだわ」

 そこで空いた、気まずい間。
 ショックを受けたように固まったユイリは、金縛りがとけるとしょんぼりと肩を落とした。

「やっぱり小さいんだ」

 シェイラは、目をぱちくりさせた。

「わたくし、何か悪いことを言ってしまったかしら?」
「いいえ、もちろんそんなことはなくてよ。シェイラは事実を言っただけで、なぁんにも悪いことはないわ。ねぇ、ユイリ?」
「…………どうせ小さいもん」

 レイスは、不貞腐れるユイリの頭を軽くぽんぽんと叩いた。

「小さいのも個性の内だから」

 慰めにすらならない言葉に、もはや反論することを諦めたユイリだった。

inserted by FC2 system