世界の果てで紡ぐ詩

46.

 ともかく少女たちを最後の一人まで追い出すことに成功すると、舞踏室にはユイリとレイスとシェイラ、そしてミリセントの四人だけが残った。
 壁際を埋め尽くしていた少女たちがいなくなったせいか、舞踏室はがらんとしていてだだっ広く感じる。
 もともとダンスや体育などの体を動かす講義に使われている場所なので、余計なものは一切置かれていないのだ。

 きょろきょろと辺りを見回しているユイリに、扉を閉めて戻って来たレイスが問いかけた。

「もしかして、ミレイネを探してる?」

 銀色の睫毛をせばめて、ミリセントは値踏みするようにユイリを見すえた。

「おやまぁ。 ユイリはわたくしたちじゃなくて、ミレイネを見に来たってわけ?」
「べ、別にそういうわけじゃ」
「まあ、やっぱり気になるのね! ユイリったら、神官長様の推薦で編入してきたというのに聖劇の配役に興味がなさそうにしているんだもの。あなたに与えられた配役にしたって、もっと別の役が狙えたのに侍女役だなんて……わたくし、よっぽど実行役員に抗議しようかと思っていたのよ」

 可愛らしく唇を尖らせて言うシェイラに、ユイリはぎょっとした。

「抗議って。私には侍女役で十分だから、そんなこと絶対にしなくていいからね」
「十分どころか、お前にもできそうなのはそれ位しかないの間違いじゃなくて? それどころか、侍女役も身に余りそうでわたくしの方が不安になってくるわ」

 ミリセントが憎まれ口をたたき、レイスは気の毒そうにユイリを見つめた。

「ユイリは、面倒事をそれとは知らずにひき寄せそうなタイプだものね。いくらセリフがないわき役でも、なにか予期せぬ出来事が起こりそうな気がする」
「うっ。何だか否定できないっぽい感じ?」

 ユイリは口元を引きつらせた。

 これまでの経緯を考えると、否定したくても否定できない自分が切ない。
 何も考えずふらふら行動して、結局は後になって後悔するのだ。
 明らかに不審すぎるお手紙をもらった時も、言われるがままアデレイド女学院に編入してしまった時も、後悔は後からのこのこやってきたではないか。

(結局は、私の考えが足りない――っていうか甘いってことなんだと思うけど)

 分かっていても、ユイリが歩く道はいつだっておかしな方を向いてしまうのだ。

 悲壮感を纏ってしょげ返っているユイリの肩に、暖かな手が置かれた。
 何かと思って見ると、その手は慈愛の微笑みを浮かべたシェイラのものだった。

「大丈夫よ、ユイリ。例え面倒事であっても、そういったものを引き寄せてしまう運気の強さは、ラクリマとして必要な素質のうちの一つですもの」
「……」

 褒め言葉には違いないが、ユイリは何とも言えない微妙な顔をした。

 何か良い切り返しはないものかとうんうん唸りつつ考えていると、いかにも恐る恐ると言った感じで、扉がほんの少し開く。
 僅かに空いた隙間から一人の少女が顔を覗かせたが、目をぱちくりさせて不思議そうに見ているユイリと目が合うと、慌てたように顔を引っ込めてしまった。

「え? え? わ、私、何か悪いことした?」

 ミリセントは肩をすくめた。

「あの子はいつもああなのよ。別にお前の顔を見て怯えたわけじゃないわ。まぁ、仮にお前の顔に怖気づいたとしても、わたくしは不思議じゃないけど」

 つんと澄まし顔のミリセントに反論しようとしたところで、先程の少女がもう一度扉から顔を覗かせた。
 入ろうか入るまいか迷っているようだ。

 シェイラは優しく瞳を和ませて前に出ると、少女に向かって手招きをした。

「ちょうどあなたを呼びに行こうと思っていたのよ、ミレイネ。練習はもう終わったの?」
「え、えぇ」

 顔を真っ赤に染めて口ごもりながら、ミレイネはおずおずと舞踏室に足を踏み入れた。
 微かに震える手をぎゅっと組み合わせて、神経質に暗褐色の瞳を揺らしたままゆっくりとシェイラの隣に並んだ。
 華奢な手で額にかかった黒髪を撫でつけているところでユイリと目が合い、小さな悲鳴をあげる。
 ユイリはその反応にショックを受けて、泣きそうな顔になった。

「私って、悲鳴を上げられるくらい怖い顔をしていた?」
「うーん。そういうわけじゃなくて、ミレイネは対人恐怖症なところがあるから別にユイリが怖いってわけじゃ……ないこともない、かも」
「どっちなの、アレイシア」
「あ……わ、わたくし、その、あ、あまり誰かとお話しするのに、な、慣れていなくて。だ、だから……ご、ご、ごめんなさい!」

 声を絞り出すように何とか言い切ると、ミレイネはもう耐えられないと言わんばかりにシェイラにしがみついて真っ赤に染まった顔をその背中に隠した。

 ユイリはどう答えたらいいのか分からなかった。
 この極度な恥ずかしがり屋――というか、対人恐怖症――の少女が、聖劇で“悲哀の聖女”を演じるミレイネ・ライゼルその人だとは。
 いちおう主役という位置づけになるはずだが、いろいろと不安なような気がする。

 困惑しているイリを尻目に、シェイラはまるで幼子にそうするようにミレイネの顔を覗きこんで穏やかに言った。

「彼女は、ユイリ・サヴィアよ。ほら、噂の編入生。あなたも知っているでしょう?」

 涙の浮かんだ瞳でユイリをちらりと見て――でもすぐに逸らされてしまった――、ミレイネはこくりと頷いた。

「えぇ、し、知っているわ。セ、セシリアたちが話しているのを、何度か、き、聞いたから。で、でもこうしてお会いするのは、初めてで、わ、わ、わたくし、どうしたらいいのか……」
「なにもいきなり飛びかかったりしないから、安心なさいな。単なる小心者で凶暴性はない、いたってつまらない子よ」
「……なんか棘がない? そしてすっごく腹が立つんだけど」

 ミリセントは、嫌みたっぷりに微笑んだ。

「わたくしは何も嘘は言っていないわ。それとも、反論の余地があるのなら言ってみなさい。――ほぉら、何も言えないじゃないの」

 涼しげな顔つきのミリセントに憤然とくってかかろうとしたところで、レイスが不毛な争いに終止符を打った。

「ミリセントにユイリ……うるさい」

 横目で睨まれたユイリは、慌てて口をつぐんだのだった。

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