世界の果てで紡ぐ詩
48.
「あの子、絶対に何か隠しているわよ」
食事を終えて自室へ向かう途中、ミリセントが呟いた。
「それも、ミレイネの手には負えないくらい大きな何かだわ」
ひとり言のようなミリセントの呟きに答えたのは、レイスだった。
「そうだね。ミレイネは元々控えめな性格で対人恐怖症なところはあるけど、彼女があそこまで怯えるなんて尋常じゃない」
「夏季祭も近いと言うのに、何だか嫌な予感がするわね」
ミリセントは、ユイリを横目で見て言を継いだ。
「まるで、お前が災厄を持ち込んだみたいだと思うのは、わたくしだけかしらねぇ?」
ユイリは顔を青褪めさせた。
心の動揺を映したかのように歩調が乱れ、ミリセントの言葉がもたらした忌わしさで目がくらむ。
ユイリ自身、ちらりと頭の片隅に過ったことだった。
それは可能性の域を超えないものだったけれど、ミリセントに言われるまでもなく何かがこの学院で起ころうとしているのは分かる。
学院全体に、不穏な空気が立ちこめているような気がするのだ。
何も言えないでいるユイリに代わって、シェイラが「いいえ」と首を振った。
「誰のせいというよりも、これは時代の趨勢だとわたくしは思いたいわ。アデレイド女学院という閉塞的な空間にいるわたくしたちでも、ウェレクリールに起きている変異は知っているでしょう? 水の加護深いこの国でよりによって水に関する変異が起きるなんて、普通なら考えられないはずなのに。ラクリマですらないわたくしたちなんて、及びもつかないほど大きな力が関わっている。――伝承で語られる、“暗黒の時代”みたいにね」
「まさか。それは言い過ぎよ、シェイラ」
「そうかしら。じゃあどうして、聖神官さまがこのウェレクリールに来ていると言うの?」
聖神官と聞いて、ユイリの体が思わず震えた。
それがクラウスを指しているということを、知っていたからだ。
クラウスの言動にはそういった意味では特に注視していなかったが、彼に対する自分の反応、そしてジェイの言ったことを忘れることは難しかった。
“確かにお前を信用するのは難しい。しかし、聖神官殿の考えや思惑は、私にとって蔑むべきものなのだ”
「さあね。何か深いお考えがあるのでしょうけど、全くと言ってもいいほど動きがないみたいだし。謎だらけだわ」
ミリセントは困惑気味に肩をすくめた。
彼女たちの情報収集能力を持ってしても、クラウスに視察以外の目的があることは掴めなかった。
神殿が望む日課を、ただ淡々とこなしているだけなのだ。
祈雨の儀式に列する以外の目的があるようにはとても見えず、進んでウェレクリールの変異を調べようという姿勢も見受けられない。
「大体、ウェレクリールの変異に関する調べは終わっているはずでしょう? 何年か前に、中央から調査団が派遣されてきていたみたいだし。それなのに、今頃のこのこやって来るなんて間抜けもいいところよ」
「ミリセント! 声が大きすぎるわ」
シェイラは慌ててミリセントをたしなめた。
しかしミリセントは反省する気など微塵もなく、昂然と顎をあげただけだった。
「わたくしは事実を言っているだけ。間違ったことなど言ってやしないのに、どうして媚へつらわないといけないのよ」
「それでも、不敬に過ぎるわ」
ミリセントは、鬱陶しそうに手を振った。
「分かったわ、もう言わない。でも嫌な予感がするのは事実よ。ねぇユイリ、お前は何か知っているんじゃなくて?」
しかし答えたのはレイスだった。
「無駄だよ、ミリセント。ユイリはたぶん、何も知らない」
思わぬ助け船にホッとしたのも束の間、ミリセントは疑わしそうに目を眇めた。
「無知であることはなんの言い訳にもならない。怠慢であることを正当化すること自体罪深いのに、アレイシアはユイリを庇うと言うの?」
「そういう問題じゃない。ユイリは――」
レイスはふいに言葉を切った。
彼女の視線の先を追ったユイリは、そこに今はあまり関わり合いになりたくない少女の影を見つけて、うめき声を押し殺す。
話に夢中になっていた四人に鉢合う形で現れたのは、実行役員の少女――セシリア・ウィンスレットとその取り巻きの少女たちだった。
「最悪だわ」
ミリセントは、嫌悪感たっぷりにひそひそ声で言った。
「わたくしあの女の気取った顔を見ると、肥大化したうぬぼれを粉々に打ち砕いてやりたい衝動にかられるのよ」
油断なく獲物に飛びかかる隙を窺うミリセント同様、こちらにやってくるセシリアも警戒を露わにしている。
どちらのグループも互いに話すことを避けようとしている節があったが、今回ばかりはセシリアが口火を切った。
「これは、これは、四人お揃いで仲のよろしいこと」
片側だけ上がった口角に嘲りをのせて、セシリアは居丈高に見下すような視線を向けた。
「弱きは自衛のために群れを為すというのは、本当のことのようですわね。無駄な努力をご苦労さまと、労って差し上げた方がよろしいのかしら?」
「そういうお前は――おやまぁ、従順で頭の足りない取り巻きを侍らすことしかできないようね。友達の一人もまともに作れないなんて、お気の毒さま」
「し、失礼にもほどがあります!」
顔を真っ赤にして毛を逆立てたのは、セシリアの取り巻きの一人だった。
鮮やかな赤毛に負けないくらいの勢いで憤慨している少女を前に、ユイリは少しだけレイスの後ろに隠れた。
ちらりと見えた爪はやすりで綺麗に整えられ、切れ味も鋭そうだ。
飛びかかられて引っかかれでもしたら、堪らない。
まさにその瞬間少女を止めたのは、意外なことにセシリアだった。
「いいのよ。小物ほど良く吠えるものだから、相手にすることはありませんわ」
「……セシリア様がそうおっしゃるのなら」
少女はそう言うと、険のある目でミリセントを睨みつけ――当の本人は涼しい顔をしていたけれど――しぶしぶ後ろに下がった。
代わりに一歩前に進み出たセシリアは、いちおう手の届かない距離を保ちつつ静かな怒りを込めてシェイラ、レイス、ミリセント、そしてユイリの四人を順々に睨みつけた。
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