世界の果てで紡ぐ詩

52.

 霞む景色が、また別の記憶を読み込んでいく。
 それはセピアに褪せた風景を思い出すように、少しずつ色を取り戻していった。

「――このような夜更けに、どうしたのですか?」

 静かに問われたユイリは、顔を上げて辺りを見回した。
 驚きに見開かれたユイリの瞳に映っているのは、朝の陽射しが落ちる川辺ではなくこぢんまりとした、知らない部屋。
 年月の深みを刻んだ木製の鏡台の前では、椅子に腰掛けた一人の女性がユイリに背を向ける形で俯いている。
 背中を流れ落ちる真白い髪が、鏡台に置かれた蝋燭の灯りに照らされて橙色に染め上げらけれていた。

「あ、あの――っ」
「失礼なこととは承知しています。でも、どうしてもお聞きしたいことがあるのです」

 話を遮られる形になったユイリの前に現れたのは、ユイリが良く知る――しかし幾分幼さを残した少女だった。
 その面影が川辺にいた少女とも重なることに気づいたユイリは、まじまじと彼女を凝視した。

「わたしは、セシリア・ウィンスレット。あなたが選出者と聞いて、わたし居ても立ってもいられなくて」

 話し口調は違えど、彼女は紛れもなく実行役員の少女だった。
 どうしてウェネラがこんな夢を見せるかは分からなかったが、ユイリはもうどうにでもなれと開き直ることにした。
 何か意味のあることかもしれないし、単なる気紛れかもしれない――相手がウェネラである以上、後者ではないとはさすがに言い切れなかった――。
 自分の夢なのに全く手出しができないということは、腹立たしいことこの上ないけれど。
 特に害はないしまぁいっかと思ってしまう辺り、ユイリの楽観的な性分は健在だった。

 さっさと悟りを開いてしまったユイリの横では、セシリアと“選出者”と呼ばれた女性の会話が続いている。
 図々しくも二人の真ん中に陣取ったユイリは、恥ずかしげもなく耳をそばだてた。

「レイネを、ミレイネ・ライゼルをどう思いましたか?」

 またしても繋がる言葉。
 脳裏に、黒髪の少女の姿が浮かんだ。
 
「ミレイネ?」
「はい。わたしの隣りにいた、黒髪の」
「あぁ、あの子のことですね。もちろん覚えていますよ」

(そして、この人のことも知っていると思うんだよなぁ)

  未だ顔を上げずにいる女性を見つめて、ユイリは首を傾げた。
  確かに似ているのだ。でも、何かが決定的に違う。

 クエスチョンマークだらけのユイリに対して、セシリアは決然とした光りを宿してうなずいた。

「彼女のことをどう思ったか、お聞きしたいのです」
「どう、と問われても困りますが……」

 女性は僅かに顔を上げたものの、依然として振り向くことはなかった。

「そうですね……彼女はとても素晴らしい素質を持っていると思いました。すでにあなたはご存知のようですが、わたくしたち選出者が各地を巡るのは、神聖なる女学院で学ぶに値する者を見つけ出すため。彼女を見てその眠った才能を感じて、わたくしは思いました――」

 女性は言葉を切ると、体ごとセシリアとユイリを振り返った。

 その瞳は、透き通った水の色合い。
 どこまでも見透かされそうに深く、セシリアを見つめている。

(ネア・ノエル)

 ユイリは、言外につぶやいた。

 しかし、とユイリは思う。
 胸にしこりのように残る、この違和感は一体何なのだろう。

 そんなユイリの疑問を他所に、ネア・ノエルと思しき女性はゆっくりと言を継いだ。

「――決して彼女を、ラクリマにしてはならない、と」
「っ、なぜです?!」

 鋭く息を飲んだセシリアは、必死の形相でネア・ノエルに詰め寄った。

「だってあなたは今、レイネには素晴らしい素質があるって言ったじゃないですか!」
「素質はあります。でも彼女は、あまりに脆すぎるのです」
「どうして――」
「疑問をそのまま返しましょう。どうしてあなたは、彼女にこだわるのです? 自分ではなく、彼女をわたくしに認めさせたいのはなぜ? 何か理由がなければできないことですよね」

 セシリアは両手で顔を覆うと、そのまま力なく床にくずおれた。

「あなたには分かりっこない。わたしたちの思いなんて、恵まれたあなたには絶対に分からない」
「なぜ、そう思うのです」

 ネア・ノエルは立ち上がると、哀れみ深くセシリアを見下ろした。

「わたくしが恵まれていると、なぜそう思うのですか?」

 顔を上げたセシリアは、ネア・ノエルを睨みつけた。

「なぜって、あなたは選出者でしょう?! ここが外れにある孤児院でも、選出者がラクリマから選ばれることを知っている! あなたが特権的立場に在ることを知っている!!」

 ユイリは、目をぱちくりさせた。

(……えぇと、マジですか)

 驚きに顔を引きつらせるユイリの前で、ネア・ノエルはしばらくの沈黙の後に深いため息を落とした。

「あなたはまだ幼い。そして――あまりに愚かすぎる」
「な、何を――っ」
「ラクリマを女神の偶像のように思っているのかもしれませんが、実際は違うということが分かっていないのですね。世界の中心に近く世界の真髄が垣間見られるからこそ、彼女たちは背負うものが大きく失うものも多い。わたくしはそれを知っています。だから、ミレイネという少女がラクリマに向かないであろうことも分かるのです」
「……だとしても、誰からも顧みられないこの場所にいるよりはマシだわ」
「失ってから初めて、過去を恋しむこともあるでしょう。しかしそれでは遅すぎるのですよ」

 ネア・ノエルの言葉に、セシリアは唇をかみ締めて搾り出すように言葉を紡いだ。

「それでもわたしは――」

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