世界の果てで紡ぐ詩

53.

 脳がそれと認識するより早く、またしても場面が変わる。
 次にユイリがいた場所は、小規模な教室。
 見覚えのあったユイリには、すぐにここがアデレイド女学院であるということが分かった。
 前方中央には教壇が配され、席が二十程並んでいる。
 教壇に立っているのは、ネア・ノエルだった。
 そして、ネア・ノエルと向き合う形で立っているのは――

「どうしたのです、セシリア」

 抑揚のない声が、静けさを打った。
 僅かな感情の起伏すらなく、ただ音としての言葉がそこにはあるのみ。
 それは、ユイリがアデレイド女学院に編入して知ったネア・ノエルのイメージと、驚くほど酷似していた。

(これが違和感の正体……)

 先程のネア・ノエルには僅かではあるものの感情の機微を感じ取ることができたが、今目の前にいるネア・ノエルにはそういったものが一切感じられなかった。
 例えるなら、精巧に作られた彫像のように冷たく、無機質な存在。

(同一人物のはずなのに、どうしてだろう。実は双子だったり――なんてことはないよねぇ?)

 しかし、そう思ってしまうほど違うのだ。
 ネア・ノエルの纏う雰囲気が。

「ネ、ネア……ノエル?」

 セシリアもユイリと同じことを思ったのか、青い瞳が当惑に揺れている。 

 不意に、ネア・ノエルの纏う雰囲気が変わった。
 ネア・ノエルの口角が僅かに上がり、笑みを形作る。
 見る者を震撼させる、得体の知れない不気味さを伴って。

「ええ。どうしたのです、セシリア? わたくしに何か用でもあるのですか?」
「あ……」
「――ミレイネ・ライゼルのことですか?」

 言葉を詰まらせるセシリアに代わって、ネア・ノエルが言った。
 さざなみのような笑いを含んだ声音には深い嘲りが混じり、空色の光彩を秘めた瞳はさらに陰影を増してセシリアを見すえた。

 耐え切れずに後ずさりをしたセシリアは、机に阻まれてがくりと後ろにのけ反り手をつく。

 ネア・ノエルは、濃艶な笑みを浮かべた。

「逃げることはない。わたくしに用があったのでしょう」

(違う)

 姿形はネア・ノエルであるはずなのに、何かが違う。
 どれが本物でどれが偽物で、何が違っているのかすら分からずにいるユイリの前で、セシリアは果敢にも姿勢を正してネア・ノエルに疑念を投げかけた。

「あなたは――誰ですか?」
「あなた方がネア・ノエルと呼ぶもの」
「いいえ、違います。あなたは、ネア・ノエルではありませんわ。ネアは――ミレイネを学院へ推薦し、素質が僅かしかないわたくしをミレイネと一緒にいられるようにしてくださった方。あなたとは違う」
「なるほど、恩人と言うこと」

 ネア・ノエルは感情の乏しい声音で言ったが、常の彼女とは別の意味で、真意を読むことができなかった。

「でも、あなたがネア・ノエルと呼ぶものもわたくしも、本質は一緒。――ラクリマであることに、変わりはない」
「どういう、意味ですか?」
「……言葉の通りですよ、セシリア」

 そう言った言葉は、まさしくネア・ノエルのもの。
 声音から感情が消え失せ、無機質な響きを帯びた。

 仮面を変えるような突然の変化に息を飲むも、ネア・ノエルの穏やかな眼差しに偽りは見当たらない。

「わたくしは以前、言ったはずです。ラクリマとしての素質はあっても、ミレイネ・ライゼルには向かない、彼女は脆すぎると」

(何なの、この人は……)

 ユイリは、空恐ろしいものを感じて戦慄した。

 ユイリの記憶に間違いがなければ、今の言葉は先程の夢でネア・ノエルがセシリアに言ったものだった。
 それを彼女が事も無げに言うということは、ネア・ノエル双子説はともかくとして、”彼女”とネア・ノエルが同一人物であるという証拠に他ならないのではないだろうか。

 ユイリの脳裏には、一つの可能性が浮かんだ。

(多重、人格)

「なぜ、それを――」
「あの日、村外れの孤児院でわたくしが言った言葉ですよ。忘れるとでもお思いですか? もちろん覚えていますとも」
「で、でもあなたは」

 セシリアは、言葉が見つからないとでも言うように言い淀んだ。

 美しい空色のガラスにも似た瞳でセシリアをじっと見据えていたネア・ノエルは、不意にうたを奏でるように口を開いた。

「“それでもわたしは――過去よりも未来を取りたいと思うのです”」

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