世界の果てで紡ぐ詩
55.
さらりと、背後で衣擦れの音がしてようやく、ユイリは目を開けた。
真白く、延々と続く世界が広がっている。
ユイリは振りかえることもなく、ひとり言のように呟いた。
「どうして……私にあんな夢を見せたんですか? ――ウェネラさん」
振り返らずとも分かる、“性悪”精霊ウェネラに問いかける。
ユイリにおかしな夢を見せたのはウェネラで間違いないだろうし、第一このわけの分からない真白い世界は、ウェネラと初めて会った時や夢の中で会う時の――と言っても、ユイリは全然会いたくはないのに毎回押し掛けてくるのだ。迷惑なことに――光景と全く同じなのだから、いちいち確認するまでもない。
案の定、背後から聞こえた不機嫌丸出しの声はウェネラのものだった。
「ちょっと! あたしじゃないわよ、失礼ね。何でもかんでも人のせいにしてんじゃないわよ」
ユイリは目をぱちくりさせて、ようやくウェネラを振り返った。
「え。違うんですか? 私はてっきり、ウェネラさんが犯人じゃないかと……」
「それ、どぉいう意味よ」
腕組みをしたウェネラから、剣呑な目つきで睨みつけられた。
ユイリはひくっとおかしなしゃっくりをすると、そろりと半歩だけ後ずさった。
「べ、べべべべ別に深い意味があったわけではなくてですね、えぇと、人の夢を乗っ取る……じゃなくて、侵入する? …………は、入り込む! そう、人の夢に入り込めるような芸当、ウェネラさん位に、えぇと、素晴らしい力をもった方じゃなきゃ、できないかなー……なんて」
「いやに突っかかる言い方だわね」
「……ハァ――――。たぶん疲れているんですよ」
「ふぅーん。見かけによらず、苦労しているみたいじゃない」
(原因の大半が自分にあるとは、きっとこれっぽっちも考えてないんだろうなぁ)
そう考えると何だか悲しくなってくるので、ユイリはウェネラの機嫌がまた悪くならないうちに言葉を継いだ。
「――ウェネラさんが犯人じゃなきゃ、一体誰がこんな夢を見せたって言うんですか?」
何の意味もない、と考えるにはあまりにも意味深すぎる夢。
夢が暗示するものは、何なのだろうか。
これからのユイリの行動と進む先に、どのような関係があると言うのだろうか。
ウェネラが犯人ではないとするのなら、誰が――?
聞きたいことはたくさんある。
もちろん、ウェネラに聞いてもちゃんと答えてくれると言う保証はどこにもなかったけれど。
しかしウェネラは、あっさりと答えた。
「あんたの回りにいる誰かさんでしょうねぇ」
遠回しな物言い。
どうせ教えてくれるなら、はっきりと言ってくれればいいのに。
ユイリは首を傾げた。
「私の回りにいる誰か? ――って、誰」
「そんなの知らないわよ。まぁ一つ言えるのは、いくら鈍臭くて間抜けとはいえ、あんたを夢に引きずりこめるくらい、聖女の血筋を色濃く受け継いでいる誰かさんてことは、確かでしょうねぇ」
(なんだか、激しく貶されたような気がするんだけど)
鈍臭くて間抜けという部分に力がこめられていたのは、聞き間違いではないはずだ。
やっぱりウェネラは、性格が悪い。
当たり前の事実を再認識しているところで、ウェネラは更に言葉を続けた。
「大方、今回の聖劇で“悲哀の聖女”を演じる娘でしょうね」
「――ミレイネ! ミレイネ・ライゼル……!!」
「このあたしが興味を惹かれたんですもの、おそらくその娘で間違いないでしょうよ。で、来てみたらあんたが呆けて突っ立ってたってわけ」
「うっ……。呆けては余計です」
ユイリがそう言い返すと、ウェネラは意地悪そうににっこりと微笑んで言い切った。
「見解の相違だわね」
何を言っても負けるような気がしてきたユイリは、目を閉じて大きく深呼吸をした。
次に目を開けた時には、思ったことを言わずにはいられない口が余計なことを言ってしまわないように。
「…………。それで? ウェネラさんは、私に一体何をさせたいんですか? いつまで経っても放置状態って言うのは、さすがにツライんですが」
最初、ウェネラは何も答えてくれないのではないかと思った。
それまで笑みさえ浮かべていた顔から、一切の表情が消え失せたからだ。
人を狂い惑わす魔性とでも言ったらいいのだろうか。
精緻を極めた芸術品が持つ冷厳さを纏い、ウェネラはただユイリを凝視していた。
ユイリがごくりと喉を鳴らした時、ようやくウェネラが低い声で言葉を発した。
「そろそろ、夏至祭が始まるわ」
「――は?」
次に何を言われるのだろうと身構えていたユイリの前で、拍子抜けにもウェネラは肩をすくめた。
「全ては女神のご意思のままに進んでいく。だからあたしにも、何とも言えないわ」
息をつめて身構えていたユイリは、力の抜けた声でぼやいた。
「結局、放置状態は変わらずってことですか」
「そうなるでしょうけど……。いいこと、ユイリ。何度も何度もしつこいくらいに言うようだけど、身辺には十分に気をつけなさいね。それでなくても、あんたは鈍臭いんだから」
「――忠告で終わらせてくれれば、『ウェネラさんて、なんて良い人なんだろう』ってちょっとは感謝もするのに、いっつも一言余計なことを言うんですもんね」
それを聞いたウェネラは、可憐な――世間一般ではそう表現されるかもしれないが、ユイリにはどう考えても邪悪にしか見えない――微笑みを浮かべた。
「あぁら。忠告してあげている分、あたしは十分に親切だと思うわよ?」
「……」
もはや反論は無意味だと、変に悟りを開いてしまったユイリであった。
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