世界の果てで紡ぐ詩
56.
それは、あまりにも唐突に起こった。
ユイリとウェネラが無駄な時間を費やしている間に、少しずつそれは起こっていたのかもしれなかった。
果てなく続いていたはずの真白い世界に、無数の亀裂が現れる。
ユイリがおや? と思った時には、亀裂は至る所に巨大なひび割れを創りだしていた。
卵の殻が剥がれるように落ちた後には、不吉な暗闇が顔を覗かせている。
ユイリは茫然と世界が崩壊していく音を聞いていたが、その暗闇を見た瞬間なぜだか背筋が凍るほどの恐怖を味わった。
「……ウェ、ウェネラさん…………。こ、これは――――」
パニック状態になって大騒ぎできる位の元気があれば、まだいい。
しかしユイリにできたことは、ウェネラに駆け寄って服の裾を力なく引っ張ることくらいだった。
ウェネラは眼光鋭く、辺りに視線を走らせ呟いた。
「夢が崩れていく――」
思いのほか、穏やかな声音。
言葉自体は穏やかどころか不穏さ満載だったが、ともかくそう焦るような出来事ではないらしい。
ユイリは少しだけ安心してホッと息を吐いた。
「夢が崩れるって、どういうことですか?」
ユイリとしては至極まっとうな疑問を口にしただけなのに、ウェネラはあからさまにバカにした顔をした。
「言葉通りの意味よ。見りゃ分かるでしょ、おバカさん」
そんなこと、言われなくても分かる。
ユイリが聞きたかったのはそういうことではなく、何がこの世界で起きようとしているのかということなのだ。
われ知らずジト目になるユイリに、ウェネラはあくまでも冷たくとんでもないことを言い放った。
「呆けていると、夢に囚われて抜け出せなくなるわよ」
「え゛っ」
世界は闇に閉ざされようとしていた。
ぱらぱら落ちてくる破片すらも闇に呑みこまれ、跡形もなく消え失せていく。
それは、どこか禍々しい光景のように映った。
怯えたように暗闇を見渡すユイリ。
ウェネラは、にんまりと笑った。
「あたしは自由に夢を渡れるからいいけど、あんたは困るんじゃないの? ――人間は、ほんっとに非力よねぇ。嫌になっちゃうわ」
言葉も態度も、嫌味をふんだんに含んでいる。
さすがにムッときたユイリは、こっそりと舌を出した。
「……非力な私は、さっさと退散することにします」
「はいはい、どうぞご勝手にいなくなってちょうだい」
しっしっと犬を追い払うような仕草をするウェネラに、心の中で悪口を思いつくだけ並べて置いてユイリは目を閉じた――。
***
さっさとユイリを追い払ったウェネラは、崩れゆく世界を見上げた。
広がっていく闇。
混沌に堕ちていく、夢――。
この崩壊が、夢主に起きた何らかの異変であることを、ウェネラは知っていた。
「嫌な感じだわ。嫌な気配もするし……」
世界が闇に覆われるのも、時間の問題だろう。
あとは、混沌に呑みこまれていくのを待つだけ。
膨大な時間の流れに生きるウェネラには、過小なる人間がどうなろうと構わなかった。
気にかけるという感情は、人間に対しては持ち合わせていなかった。
そう、異世界から訪れたユイリという娘を除いては。
詩が彼女を選び女神が黙認するのなら、幾らでもあの娘を気にかけようではないか。
とは言うけれど。
おとなしくしていればいいものを、どうしてこうも巻き込まれ体質をしているのだろう、あの娘は。
「夢主に何か異変が起きたことは間違いないけれど、あの娘、変に騒動を引き寄せやしないかしら。――――あー、苛々する!」
目を細めたウェネラは、剣呑な声音で物騒な本音を漏らした。
「――力が回復したら、国もろとも綺麗さっぱり洗い流しちゃおうかしら」
幸いにも、ウェネラの独白を聞く者は誰もいなかった。
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