世界の果てで紡ぐ詩

57.

「――ゆ、め――――?」

 唇から洩れた言葉は、不明瞭な響きを伴っていた。

 頭がぼんやりとしている。
 霞がかかったように意識が曖昧で、鈍い頭痛がした。

 暗闇の中身体を起こし、少しでも痛みを和らげようとこめかみに手を当てた。

 夢と現実の境界線が混じり合っていて、自分がどこにいるのかも、名前でさえも思い出すまでに時間を要した。

 ここは――ウェレクリールの最高峰、水の神殿。
 その中でも選ばれた子女のみが立ち入ることを許される、アデレイド女学院。
 選出者たるネア・ノエルに見いだされ――今年の聖劇では、『悲哀の聖女』を演じる。

(わたくしの名前は、ミレイネ。ミレイネ・ライゼル……)

 闇が支配する部屋の中に静かな声が落ちたのは、その時だった。

「ようやくお目覚めのようですね。――ミレイネ・ライゼル」

 言葉が終わると同時に、机の上のランプに灯りが灯る。

 不吉に浮かび上がったのは、生気に欠けた、しかし鳥肌が立つ程美しく整った白い容貌。

 ミレイネの喉が、ひゅっと鳴った。
 意思とは関係なく震えが止まらない。
 ミレイネは自分の身体を抱きしめて、やっとの思いでその女性の名を口にした。

「ネ、ネア……。ネア・ノエル」

 心臓が、軋みをあげる。

 ネア・ノエルはそんなミレイネの心情を知ってか、紅を刷いたように赤い唇を笑みの形に上げた。

「甘美なる夢の世界は随分と居心地の良い場所だったようですね。懐かしい――幼き日の幻は、いかがでしたか?」
「ぁ…………」

 震え怯えるミレイネを前に、ネア・ノエルは更に深い憫笑びんしょうを浮かべた。

「怯えずとも良い。あなたのうたは女神の血肉となり、いずれ来たる降臨の時に楽園への永住を許されるでしょう」
「わ、わたくしは――――」

 ふと、ネア・ノエルの彫像じみた顔に憐みにも似た感情が浮かんだ。
 それは浮かんだ以上の素早さで消えてしまい、ミレイネが気づくことはなかった。

 ネア・ノエルは、祈りを捧げる慎み深さで銀の睫毛を伏せた。

「セシリア・ウィンスレットには、手出しはしない。女神の御名において、誓約は有効ですよ」
「ああ……」
「さぁ――。女神のかいなに抱かれて、永久とわに詩を紡ぎ続けるが良い」

 ランプの灯りに照らされて、ネア・ノエルが滑るようにベッドへと近づいてくる。
 衣擦れの音すら立てずにミレイネのすぐ側までくると、不意に身を屈めて、吐息が触れるほど近く、冷たく整った顔を近づけて口を開いた。

「アルマ イ ヴェリタ エレスティア ディーレ エスト レギエーラ カーレ――
《魂と真実の下に 女神の言葉で 誓約の祈りを捧げん》」

 不思議な音を持つ言葉が紡がれ、ネア・ノエルの唇がミレイネのそれと重なる。
 重ねられたまま、冷笑に歪んだ唇は更なる言葉を紡いだ。

「アルトゥール エテル ナーレ インフェリーレジ――」

 ネア・ノエルの言葉は子守唄のように眠りをいざなって、ミレイネの深く――深い淵へと堕ちていく。
 その果てにあるものが“無”であり“永久”であることを知って、ミレイネの瞳から一筋の涙が流れた。

(――――――セ……シー…………)

 広げられた女神のかいなは温かく、セシリアの意識を優しく包みこんでいった。

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