世界の果てで紡ぐ詩

06.

 聖殿へとのびる廊下は、荘厳な静けさに包まれている。
 響く足音は二つ。
 そのうちの一つがゆっくりと止まり、前を歩いていたジェイは訝しげに振り返った。

 丈の高い枝状の燭台から漏れる明かりの下で、もっとも高位にある神官の顔が笑みに歪む。

「ジェイ・コートランドと言ったね。彼女の首元の傷、あれをつけたのは君かい?」

 それは問いかけではなく、断定。
 それを知っているからこそ、ジェイは余計なことは言わず静かに頷いた。

「ここでなぜかと問うのは愚問なのだろうね。それで、どう思った?」
「どう、とは?」
「君は確かめたかったのだろう」

 ジェイは何をと問おうとして口を開きかけたが、そこから漏れたのは微かな吐息だけだった。
 これでは堂々巡りになってしまうし、自分はこういった駆け引きには向いていない。
 正直に、思ったことを口に出した。

「私見ですが。私には、彼女はただの迷い人に見えました」
「ほう」
「現れるはずのない場所から現れたことと、この国について本当に何も知らない様子だったことを考えると――それが事実だと仮定してですが――、あの者が異世界からの迷い人である可能性は否定できません。もしそうなら、聖印を持っているかもしれない。それ故、私が知り得る方法で確かめてみたかったのです」
「なるほどね」
「しかし、あの者は危機に対して無頓着に見えましたし、何より聖印は現れなかった」
「だから、聖女の血筋に連なる者ではないと?」
「はい」

 何の感情も交えずに肯定したジェイに、クラウスは突然、愉快でたまらないとでも言うように笑い声を上げた。

「騎士風情が、よく知っている。聖女の血筋に連なる者か単なる迷い人か、普通は疑いもしないと言うのに。それに、聖女の血筋に連なる者が聖印を持つということまで知っているだって? 恐れ入ったよ。では・・・・・・彼女をこの部屋においたのは君の判断だということかな」
「――はい」
「神官長に知らせるでもなく、一騎士にすぎない君が判断していいこととは思えないが」
「この大切な時期に、神官長殿のお心を騒がせるわけにはいきません。まずは身元を確かめてから、と」
「それが越権行為だとしても?」

 ジェイは、迷うことなくクラウスを見つめた。

「レイフォード神官長は、唯一無二のお方。身元の不確かな者を不用意に近づけないことも、職務の一つであると私は自認しております。それに、自身の目で見て害がないと分かれば、すぐにでも報告するつもりでした」

 ジェイの口調には、微塵の揺らぎもない。
 そのことにクラウスは苛立ちと興味深いものを感じつつも、表面上にはそれを現すことはなかった。

「まぁ、君がそう言うのなら僕もこれ以上は追及しないでおこう。もっとも、聖女の血筋に連なる者か調べた君のやり方は、甘いと言わざるを得ないけどね。危機に対してと言うのなら、あんな生温い脅しではなく徹底的にやらなくてはいけない。あれでは、ただ怯えただけだ」
「そこまで手荒なまねをする必要性は、見当たりませんでしたので」
「必要性ならあるさ。聖女の血筋に連なる者――ラクリマは貴重だが、ただの迷い人に価値はない」

 つまり、もし運悪く死んでしまったとしても、それはそれで仕方がないということか。

 クラウスが言外に含ませた意味を悟って、ジェイは吐き気がするほどの嫌悪を感じた。
 思わずそれが表情に出てしまったのだろう。
 クラウスは、例えば子供が人を殺す時に浮かべるような無邪気な笑顔で、「しかし」と言を継いだ。

「僕の今回の目的は、あくまでも“視察”だから、彼女の身は安全だ。せいぜい丁重に遇することだね。聖印を確認できなかったとはいえ、この『時期』に異世界からの『迷い人』が、よりによって『聖なる泉』に現れたことを、単なる偶然とすることはできないだろうから」
「……そのようにいたしましょう」

 ジェイは用心深く無表情を保った。
 思うことはあったが、それを口に出すような愚かなまねはしない。
 
 まるでそれを知っているかのように、クラウスは薄い笑みを口の端にのせ、「では、行こうか」とジェイを促した。
 
 先ほどの会話を反芻しながら廊下を歩いている間も、ジェイは疑問に思わずにはいられなかった。

 なぜ今の時期に異世界から“迷い人”が現れたのか、そして時を同じくして聖神官であるクラウスが視察に来たのは果たして偶然なのだろうか、と。

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