世界の果てで紡ぐ詩

08.

 湯あみが済むと自尊心は粉々に砕けてしまったものの、何とか身体だけはさっぱりした。

 薔薇の香りがつけられた湯はちょうどいい加減で、羞恥プレイにしか思えない苦行に諦めをつけてしまえば、ユイリをこの上なく贅沢な気分にさせてくれた。
 これがもし一人で湯に浸かっていたら、心地よさと疲れで眠ってしまったに違いない。
 実際、こうして化粧台に向かって座っている間も、手先が器用なココに髪の毛をいじってもらうのが気持ちよくて、うとうとと船を漕いでいる。
 まるで夢の中を漂っているようにふわふわした心地だが、いかんせんココはおしゃべりな性質たちだった。

「お嬢様はどこのご出身なんですか?」

 から始まり、

「このような時期に、どうしてウェレクリールに来たんですか?」
「もしかして儀式に関係があるんですか?」
「そういえば、中央から聖神官様が視察に来られているとか。あまりに突然だし聖神官様自ら来られるなんてめったにないらしいんですが、お嬢様は何か知っていますか?」

 等々、ココの舌は止まらない。

 しかしユイリはこの国どころかこの世界の人間ではないし、矢継ぎ早に聞かれても困るのだ。
 逆に質問をそっくり返したいところだが、まさか自分は異世界の人間だと告白するわけにはいかない。
 ココが何も知らない様子なのを見ても、おそらく緘口令かんこうれいのようなものが敷かれているのではないかと思う。

 ユイリは、さてどうしたもんかと考え込みながら、化粧台の鏡越しにココを見つめた。
 するとココが期待を込めた眼差しをやはり鏡越しに向けてきたので、ユイリは用心深く考えを巡らせながら口を開いた。

「えと、出身は南のほうです」

 日本の首都東京を中心とするなら、これはあながち間違いではない。

 ココはその答えに満足したのか、大きく頷いた。

「南と言うと、アルストゥラーレでございますね。あたしは聞いた話でしか知りませんが、の国では人々は砂の中で暮らし、雨が極端に少ないとか。ウェレクリールとは正反対の気候だと聞いております。お嬢様は、そのようなところからはるばる来られたんですね」
「ふーん、そういう国もあるんだ。……じゃなくて。はい、そういうところから来たみたいです」
「このような時期に他国の方がわざわざ来られるということは、やっぱりお嬢様は儀式の関係者に違いありませんわ!」

(いえ、全くの無関係です)

 心の中できっぱり否定してみたものの、ココは十二分に勘違いしてくれているし自己陶酔しているようなうっとりした目で見つめてくるし、ここで違いますと言いきるのは得策ではないような気がする。
 そう判断したユイリは、曖昧に笑うにとどめておいた。

 ココはそんなユイリの心情などおかまいなしで、まるでユイリを崇めるようなくりくりの目で見つめてくる。
 普段は厳重に蓋をしてしまってある良心が、ちくりと痛んだ。

「そういえばお嬢様は、中央から聖神官様が来られていることをご存知ですか?」

 聖神官と言うのがあの胡散臭いクラウスのことなら、残念なことに知っている。

「うん、まあ少しは」
「あら、やっぱりそうだったんですね! 噂はあったんですが、誰もお見かけした人がいなかったので、真偽のほどが分からなかったんです」

 ……これは誘導尋問か何かですか?

 ひくりと頬を引きつらせたユイリには目をくれず、ココはすっかり想像を膨らませて夢見るような眼差しをしている。

「聖神官様は普段、中央からお出ましになることはあまりありませんでしょ? 神官様の中でも最高位に就かれ、精霊の加護深いお方ですから、きっと神々しく威厳と尊意に満ちたお方に違いありません!」
「……へぇ」
「お嬢様といい聖神官様といい、高貴な方がお二人もいらっしゃっているんですもの。ウェレクリールは必ず、精霊の加護を取り戻しますわ!」

 思考回路がどこでどう捻くれ曲がってしまったのかは分からないが、なぜかココの中でユイリはかなり上の方に位置付けられてしまったらしい。
 クラウスと同列というのが気に食わないけど。

 忙しく口を動かしながらも、ココの手は丁寧にユイリの髪の毛をくしけずり、背中の中ほどまで届く長い黒髪を、器用な手つきで一本に編みこんでいく。

 よくもまあ、口と手を同時に動かすことができるものだ。
 ユイリはおかしなところで感心してしまった。

「今日は、このままお休みになられても大丈夫だそうですよ」

 ココは化粧台の上を片づけながら、何気ない口調で言った。
 鏡を見てココの手先がもたらした成果に目を見張っていたユイリは、その瞬間はたと動きを止め盛大に顔をしかめた。

 今日は?

「明日には神官長様がお会いになるそうですので、今日はお早くお休み下さいね。それと、お疲れでしょうからお食事はこちらに運ぶよう言いつけましたが、それでよろしかったでしょうか?」

 矢継ぎ早に言い、ココは何とも無邪気な顔でユイリを見つめた。

「あの、神官長様って……」
「もちろんこの水の神殿に仕える神官様の長でございます。アルストゥラーレの火の神殿にもいらっしゃいますし、当然ご存知じかと思いますが」
「……」

 ユイリは、思わず黙り込んでしまった。
 環境の変化があまりに目まぐるしかったため、自分の置かれている状況をすっかり失念してしまっていたのだ。
 今は至れり尽くせりでココにかしずかれているけど、いきなり現れた怪しい人物として尋問されたのは、たった数時間前の出来事である。

 まさに飴と鞭。
 明日はどうやら鞭らしい。

 神官の長と言うことは、この神殿のトップの地位にいる人物に違いなかった。
 そこで何を言われるのか何をされるかは分からないが、決して楽しい会談にはなりえないことを、ユイリは確信していた。

 そして、思い出したことはもう一つ。

(そう言えば、今夜クラウスから伝承について教えてもらうんだった。……うう、あまり会いくないかも。鍵を閉めて寝ちゃだめかなぁ。部屋を変えてもらうとか)

 食事の準備をするために、大張りきりでテーブルや椅子の準備をしているココをすがるような思いで眺めてみるも、口を開く前にすぐ諦めた。
 そんなことをしても、クラウスにはお見通しだという予感がしたのだ。
 それに、伝承について聞いておく必要がある。
 もしかしたらそこに、元の世界へ帰れるヒントがあるかもしれないからだ。

 この世界に来てから何も口にしていないせいでお腹は空いていたが、現実に立ち返った今の状態では、どんなに美味しそうなごちそうが出ても喉を通りそうになかった。

 これが最後の晩餐にならないとは、さすがのユイリにも確信できなかったからだ。

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