世界の果てで紡ぐ詩

09.

 まるでそれが日常であるかのように。
 テーブルを盾に、椅子を向い合せに並べてくつろぐ二人。
 いや、実際くつろいでいるのはクラウスだけで、ユイリは緊張こそ解けたものの、クラウスの胡散臭い笑顔をやはり胡散臭そうな眼差しで見つめている。

 クラウスは予告通り、深夜を回った頃のこのことやって来た。
 それもバルコニーから。
 別にもう表から来てもいいのではないかと思うが、クラウス曰く「あまり人に見られたくない」らしい。
 それを、一緒にいるところを見られたくないからだとそのまま解釈したユイリは、何だか釈然としないものを感じつつも、同意せざるを得なかった。
 良く考えてみれば、この男はあまり関わりたくない人物第一号なのだから。

 クラウスは相変わらず、あの人をはぐらかすような微笑みを顔に張り付けたままゆったりと椅子にもたれかかっている。
 手にはクリスタルのブランデーグラス。
 それは、部屋の隅で忘れられていたキャビネットから取りだしたものだった。

「遅くなってしまって悪かったね」

 表面上はしおらしくそんなことを言っているが、はたして本当にそう思っているかどうか。
 怪しいものだとユイリは思ったが、当然それを口に出すような愚かな真似はしない。
 かわりに、「いいえ」と首を振った。

「かえってちょうど良かったです。あまりに早すぎると、ココに怪しまれますから」
「ココ?」
「えーと、いちおう私の小間使いらしいです」
「……小間使いねぇ」

 無関心に呟いて、クラウスはグラスの柄をけだるく指で回す。
 そのままグラスの中身をあけるでもなく、中で揺れる琥珀色の液体をじっと見つめていた。

 ユイリは、何だか拍子抜けしてしまった。
 フランネルの部屋着の上に丈の長い、そして少し厚めのローブを羽織って武装した自分が構えすぎのような気がしたのだ。

 ユイリは、いかにも恐る恐るといった感じで上目づかいにクラウスを見上げた。

「あのぉ、伝承について教えてもらえるということでしたが」
「うん? ああ、もちろん忘れていないよ」

 クラウスは一見、人好きのする笑顔を浮かべる。

 まただ、とユイリは思った。
 ぞくりと背中が粟立つような感覚と部屋が急に小さくなったかのような息苦しさに、怯えと恐怖で身がすくむ。

 クラウスが話し始めると、少しだけ空気が和らいだような気がした。

「まずは大まかにこの世界の説明をしてあげよう。この国の名前は知っているかい?」
「ウェレクリールですよね、たしか?」
「そう。この世界には五つの国が存在して、それぞれ東西南北中央に分かれている。ウェレクリールは北の国だ」
「もしかして南はアルストゥラーレですか?」
「知っているのかい?」
「まぁ、それだけですけど」

 実際はココがユイリの出身地として勘違いした国名だが、そこまで言う必要はないだろう。
 ユイリは用心深く口をつぐんで、クラウスに続きを促した。

「東はアルベイラ、西はオーウェストという国だ。そして中央が、メセリア。総じてこの世界を、ヴェリティエラと言う」
「……うぅ」

 クラウスの言葉を頭の中で復唱しながら聞いていたが、とても覚えられそうにない。
 途中で何が何だか分からなくなってしまって、ユイリは頭を抱え込んでしまった。

 その様子を見て、クラウスはくつくつとさも楽しそうな笑い声をあげた。

「ユイリ、なにも今すぐ覚える必要はない。これは単なる説明でしかないのだから」
「はい……」
「説明を続けてもかまわないかい?」

 問われて、ユイリは殊勝にこくりと頷く。

「それぞれの国には、神殿がある。例えばウェレクリールなら水の神殿と言うように、南のアルストゥラーレは火、東のアルベイラは地、西のオーウェストは風、そして中央のメセリアは調和と均衡。中央の神殿は世界の中心としてあり、東西南北に散らばる四つの神殿は、精霊を祀る聖域として存在する。地の精霊、水の精霊、火の精霊、風の精霊がそれにあたるかな。中央のメセリアは、その中でも特別な存在だ。祀っているのは精霊ではなく女神エレスティアで……。聞いているかい、ユイリ?」
「たぶん」
「君が今いる国は?」
「ウェレクリール」
「ではそこにある神殿は?」
「えーと、水」
「神殿が祀っているのは?」
「せ、精霊?」

 引きつった顔のまま答えたユイリに、クラウスは笑みを浮かべる。

「そう。ちゃんと覚えているじゃないか」

 冷笑するようなその言い方に腹を立てたとしても、ユイリは口をつぐむだけの分別は備えていた。
 とはいえ心の中くらいは自由なので、こっそりとクラウスに向かって舌を出しておく。
 
 しかしそれすらも見透かされているような気がして何とも言えない嫌な気分になったのは、致し方ない話なのかもしれない。

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