白の影 黒の光

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01

 少女は石畳が続く細い路地をただひたすら走っていた。
 あたりはすでに闇夜に包まれて家々の窓も固く閉ざされ、街灯のない路地に差し込む明かりは空に浮かぶ三日月の淡い光だけ。
 息はとうに上がり、足の感覚もない。何度もつまづいて白く華奢な手足には血が滲んでいる。
 それでも少女は足を止めずに走り続けた。

 やがて視界が開け、街が一望できる展望台を備えた高台へと抜け出た。
 少女はよろめきながら展望台へと続く石段に足をかけた。たった5段しかない階段が、走りどおしで体力が限界へと達している少女にとっては途方もなく長く感じられた。
 肩で息をしながらゆっくりと登りきると、少女の眼前一面にレンガ造りの街並が広がった。
 普段は人々の明るい声が溢れる街も夜の帳が降りた今では、まるで凪いだ海のように静寂に包まれている。


 食い入るように景色を見つめる少女の瞳には、もう1つ別の景色が映っていた。

 
 空まで焼き尽くす紅蓮の炎。

 逃げ惑う人々。

 泣き叫ぶ幼子の声。


 少女は耳を塞ぎ、うずくまった。
 今は誰もが寝静まった深夜。誰の声も聞こえるはずがない。
 しかし少女の耳には母を求める子供の声が絡み付いて離れなかった。

 目を開けば血に染まる人々の姿。
 少女はきつく目を閉じた。
 しかし、まぶたの裏に焼きついた凄惨な光景は、そう簡単には消えてくれない。

 血と、炎。
 吹き上がる黒煙。
 物言わぬ人々。


 狂ってしまう。

 少女の花びらのような唇を、細い声が割った。

「……やめて……やめてっ……」
 みんなを殺さないで。
 私の愛する人たちを奪わないで。
 誰か、この国を助けて。

 少女はうずくまり、震えたまま祈りを捧げた。
 無駄なことだと知りながら。
 それでも、祈ることをやめられない。

 これは現実だ。
 目の前に広がる静寂の闇夜も、彼女の脳裏に浮かぶ、もうひとつの風景も、すべて現実。

 そして、この現実を覆す力を、彼女は持たない。

 彼女は知っているだけ。
 これから何が起こるのか。
 彼女の愛する人たちがどうなってしまうのか。
 ただ、「視た」だけ。

 そして、きっと間に合わない。

 少女は絶望していた。
 運命を変えられない自分を。


 人々の悲鳴が渦巻く焼け落ちる街。


 それは、少女が愛するこの街の、未来の姿だった。


 神様。
 あなたはどうして私にこの「力」を授けたのですか。

 こんな「力」を持っていても、運命を変えられたことなんて、私にはなかった。
 誰かを救えたこともなかった。

 神様。
 もし本当に天から私たちを見守って下さっているのなら。

 私はどうなってもかまいません。

 この国を。
 私の愛する人たちを。

 どうか、助けてください。
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