白の影 黒の光

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21


 彼女と話をしよう。
 上手く話せないかもしれないが、彼女が来てから抱えているこの違和感の正体が分かるかもしれない。

 さっき淹れてくれたお茶も美味しかったと伝えよう。そして、また淹れてくれと頼んでみよう。

 リオはそう決心して台所に向かった。
 サリアは彼が与えた部屋にいることがあまりない。この一週間、自分でやることを探してちょこちょこと館を動き回っている。
 そして、それが不快ではなかったリオも、咎めたりはしなかった。

 むしろ、何処か心地いい。

 自分以外の人間といることがこんなに安心するとは、彼は知らなかった。何せ気の遠くなるような長い間ひとりでいたのだ。
 その感覚も彼を戸惑わせていた。

 考え事をしながら歩いていたので、リオは危うく台所を通りすぎるところだった。
 傍目からは全くそうは見えないが、彼はちょっと慌てて中を覗き込んだ。

「ん……?」

 リオは首を傾げた。台所は全くの無人。

「掃除か……?」

 そう呟いてリオは近くの部屋の扉に手を掛けた。部屋を一つ一つ確かめながら少女の姿を捜していく。しかし、なかなか彼女に辿り着かない。
 小さくため息をついて最後に覗いた部屋の中に足を踏み入れる。
 長い間使われていなかった部屋には、天井からぶら下がるランプ以外何もない。しかし使われていなかった割に埃は積もっておらず、彼女が掃除していてくれたのだとすぐに分かった。

「入れ違ったか?」

 リオは部屋を見回しながら窓に寄った。
 当てが外れて少しがっかりしながら何気なく窓の外を窺う。
 その部屋は館の玄関からはちょうど真裏に当たる。見える景色はどの部屋でも同じなのだが。

 外はいつものように鬱蒼と繁った森。時間軸から切り離されているそこに生き物はなく、風も吹かない。

 ……筈だった。

 ふと視線を落とすと、小さな影がテクテクと館のそばを歩いている。
 長い金色の髪が歩くたびにゆらゆらと揺れていた。

「外にいたのか」

 何故か敗北感のようなものを覚えて、彼は肩を落とした。
 彼の眼下では、少女が緩やかな足取りで庭を散策している。時折足を止めてはきょろきょろと辺りを見回す少女の姿に、リオは内心苦笑していた。
 何か物珍しいものでもあったのだろうか。ぼんやりとそう考えながら少女を眺めている彼の瞳には、優しい光が浮かんでいる。おそらく彼自身も気づいてはいないだろう。



 不意に少女が立ち止まった。
 リオが首を傾げた瞬間、首筋をピリ、と嫌な感覚が走り抜ける。

 彼は少女から目を離し、森の奥――ある一点を見つめた。

「……まさか」

 眉を寄せ、表情を固くしたリオは、すぐさま踵を返して部屋を飛び出した。



 玄関の扉を乱暴に開けて外に出たリオは、館の裏に回った。

 部屋から眺めていた通り、少女はそこにいた。しかし、何処か様子がおかしい。体は不安定にフラフラと揺れて、足取りは覚束ない。どうやら庭を抜けようとしているらしい。

 何かみつけたのか?

 だが、彼が見ている範囲で少女の興味を引きそうなものは何もなかった。
 それに、それ以上進むと森に入ってしまう。
 あの森は普通の森ではない。彼は慣れているので全く問題はないが、彼女は普通の人間だ。足を踏み入れた瞬間に感覚を狂わされて、森から出られなくなってしまう。

 訝しみつつ呼吸を整えながら少女の方に近づいていくと、少女は彼の危惧したとおり森へと足を踏み出そうとした。

 リオは慌てて、常の彼からは考えられない焦った声で少女を呼び止めた。

「何をしている!!」

 走り寄ると、少女がひどく緩慢な動作で振り返り、リオを見上げている。

「どうした!?」

 リオは目を見開いた。顔色が悪い。寒い気候ではないはずなのに、その華奢な体は小刻みに震えている。

「……リオ、さん…………」

 少女はか細い声で彼の名を呼ぶと、ゆっくりと瞼を降ろした。途端に彼女の体は力を失い、傾いていく。リオは咄嗟に両腕で少女の体を抱き止めた。
 体温がかなり低くなっている。だが、しっかりとした呼吸を感じ、彼はホッと息をついた。
 リオはそのまま彼女を抱き上げ、立ち上がった。
 館へ戻ろうと踵を返しかけて立ち止まり、森を振り返る。

 彼が感じた気配は跡形もなく消えている。
 だが彼は厳しい眼差しのまま、ひた、と一点を見つめた。

 しばらくそうしていたが、やがて彼は一つため息をつき、腕の中の少女を優しく抱えなおして館の中へと消えていった。
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