白の影 黒の光

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36


 どうやって部屋まで戻ってきたのか記憶がない。
 気づいたら部屋の扉の前に立っていた。

 ハッと我に返って慌てて扉に手を掛け、部屋に入る。
 誰もいない静かな部屋に、扉の閉まる音だけがやけに大きく響いた。


 サリアはフラフラと窓際のベッドまで歩くと、ポスン、と腰掛ける。


『事情が変わった』


 そうリオに言われたとき、サリアは何のことか分からず首を傾げた。


『お前を、元の世界に帰す』


 目の前が、真っ暗になった。


 帰る?
 元の世界に?

 リオに言われた言葉を、何度も繰り返して理解しようとした。
 でも、何を言われているのかわからなかった。

 ……理解、したくなかった。



 サリアはゆっくりと窓の外を見た。
 目に映る景色は初めてここに来た日から変わらない。


 分かってる。
 いつまでもこうしていられないこと。
 いつかは戻らなくてはいけないこと。
 ……いつまでも、迷惑は掛けられない。


『わかりました』


 ようやく口から出た言葉は、自分でも驚くほど冷静だった。
 リオの宵闇の瞳もわずかに見開かれている。彼も驚いているのだろう。


 了承したものの、少しだけ時間が欲しかった。
 部屋の整理をしたい、なんてただの名目。


 一人になりたかった。


 覚悟を決めなくては、と思った。


 正直に言ってしまえば、帰りたくない。
 
 炎の赤と血の赤が瞼に、人々の悲鳴が耳の奥に、焼き付いて離れない。

 今でも夢に見る。
 夢に見ない日は、ない。


 ……そんな場所に、戻りたくない。


 それほどまでに、この館での短い暮らしは穏やかで静かだった。

 まだここにいたいなんて、ただのわがまま。
 素性の知れない自分をここに置いてくれただけでもありがたいのに、その上残りたい、なんてわがままにも程がある。

 ……あの優しい人を、困らせちゃダメ。


「……なんだかもう、ぐちゃぐちゃだなぁ……」


 ポツリと呟いてベッドに倒れ込んだ。
 柔らかな毛布が気持ちいい。




 ……どれくらいそうしていただろうか。

 気持ちも幾分落ち着いてきて、サリアはベッドから体を起こした。


 気分は落ち着いたものの、相変わらず考えはまとまらない。

 リオにちょっと部屋に戻る、と言ってから、かなりの時間が経っているだろう。

 それなのに彼が部屋まで訪ねて来ないのは、きっと彼の気遣い。

 ……一人にしてくれたのだろう。


「……ふふ」

 何故か笑みがこぼれた。

 ……優しい人。
 きっと、自分の気持ちよりも他人の気持ちを優先する人。

 そう思うのは、先程の彼の表情を思い出したからだ。


「……辛そうな顔してたな……」


 彼はあの国に関係ないのに。
 戻るのは、私なのに。
 それなのに、辛そうだった。


「きっと、私の気持ちを考えてくれたんだ」


 なんだか嬉しくなった。
 自分でも現金だな、と思う。

 でも、彼が心配してくれたのだと思うと、こんな状況なのに素直に嬉しかった。



 ……覚悟を決めよう。
 戻ろう。あの国へ。

 戻りたくない気持ちも、あの日の恐怖も、裏切られたと知ったときの哀しみも、すべて残っている。


 でも、もう逃げてはいけない。
 ちゃんと向き合わないと。
 ごちゃごちゃした気持ちと決着をつけるためにも。

「……よし」

 小さく気合いを入れて、サリアは立ち上がった。

 もともと片付けなくてはいけないような荷物は持っていない。
 部屋も、軽くベッドを整えるだけだ。それも、ほんのわずかな時間で終わった。

 片付けを終えたサリアはリオの元へ行くために扉に向かった。

 部屋を出る前に、振り返る。

 短い間だったが過ごした部屋を見渡し、一つ頷いて扉を閉める。


 ……いつかまた、戻ってきたい。

 胸に小さな願いを抱いて、サリアはリオの元へと急いだ。
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