白の影 黒の光

back | next | novel top

37

 薄暗い廊下の奥から、パタパタと足音が聞こえてくる。

 リオは音が聞こえる方に視線を向けた。


 この館にいるのは自分ともう一人だけなので、この足音は彼女のもの。

 足取りは軽そうだ。
 気持ちの折り合いがついたのだろうか。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、視界の隅に揺れる金髪が映った。


「お待たせしました、リオさん」

 軽く息を弾ませて少女は微笑んだ。
 その様子に、リオはホッとした。無意識のうちに息を詰めていたらしい。


 良かった。元気そうだ。
 心のどこかで安堵している自分に気付いて、わずかに眉間に皺を寄せる。


 ふと視線を感じて振り返ると、サリアが不安気な表情でリオを見上げていた。
 機嫌が悪いと思われている、と気付いたリオは、気まずそうに目を泳がせた。
 こういうとき、どうしたらいいのか分からない。
 機嫌が悪い訳ではない。むしろ、ホッとしているのだ。
 言葉で伝えるべきかと思ったが、何と言ったら良いのか、言葉が全く出てこなかった。


 ぽん。

 迷った末に、リオはとりあえずサリアの頭に手を載せた。

 ぽんぽん、と二回軽く叩いてから手を離す。
 怒っていないと伝わったかとサリアの顔を覗き込めば、なんと彼女の顔は真っ赤になっている。
 しまった、対応を間違えたか、と不安になりかけたとき、サリアが小さな声で呟いた。


「あっ、あの……、ありがとうございました」

 その言葉と彼女の表情で、リオの中の不安は一気に消え去った。
 サリアは微かに頬を染めたまま、微笑んでいた。


「……何のことだ」

 先程のことだとわかっていたが、リオは素っ気なく言った。
 
 礼を言われるようなことではない。
 傷付いた少女を無理矢理連れて帰るような酷いことをしているのは、自分の方なのだから。


 それでもサリアは微笑んでいる。
 何となく居たたまれなくなって、リオは足下に置いていた革の袋を取り、肩に掛けた。


「……行くぞ」
「はいっ」

 リオが声を掛けて歩き出せば、サリアは弾んだ声で返事をしてリオの後をついてくる。

 芝生を進み、庭のある一点で立ち止まる。そこは、サリアが散策途中に倒れた場所だった。

「……ここから先は、決して離れるな。森に狂わされて出られなくなる」
「はい」

 神妙な表情でサリアが頷くのを確認してから、リオは鬱蒼と繁った森へと足を踏み入れた。



 風も吹かない森の中は静かで、二人の歩く足音だけが異様に大きく響いていた。
 全く会話がなかったが、不思議と居心地は良い。

 
 しばらく歩くと、わずかに視界が開け、緑以外の色が広がった。

 青い、小さな泉。

「綺麗……」

 思わず呟いたサリアの隣で、リオは胸元から細い鎖を引っ張り出した。

 鎖の先には、銀細工の細い鍵が二本付いている。
 そのうちの片方、蛇の様な紋様が彫りこまれた一本を、リオは慎重に外した。

 サリアはそれに気づいてリオを見上げた。


「それって、前に見せてもらった鍵ですか?」

 リオは頷き、サリアの前に鍵を掲げてみせた。

「……これが、お前の世界に続く『扉』を開く『鍵』だ」
「わたしの……」

 サリアはまじまじと鍵を眺めた。

 リオはまた一つ頷いて泉に向き直り、鍵を載せた掌を泉へと差し出した。サリアはリオの行動をじっと見つめている。
 

 手を少しだけ傾ける。
 すると、掌の上に載っていた細い鍵が吸い込まれるように滑り落ちた。

 銀細工の鍵は、音もなく、波紋を造ることもなく、泉の中に消えていった。

 サリアが息を呑んだ次の瞬間、泉の中央に光が生まれた。
 光はゆっくりと四方に伸びながら形を変えていき、やがてそこに長方形のぽっかりとした白い空間が現れた。

 サリアは不安気にリオを見上げた。リオはそんなサリアに頷いてみせ、躊躇いなく泉に足を踏み出した。
 リオの体はまるで透明な板の上を歩いているかの様に、泉の上に浮いていた。

 声もなくサリアが見つめる中、リオは振り返り、サリアに手を差し出した。

「……行こう」

 幾分優しい声音に誘われて、サリアはその手を取った。



 二人が光に消えていった刹那、歯車がまた一つ、カチリと音をたてて噛み合う。


 誰に知られることもなく、運命はその道筋を刻んでいた。
back | next | novel top
Copyright (c) 2010 ion All rights reserved.
inserted by FC2 system