白の影 黒の光
38
白い光が視界を覆った。
光の向こうは生まれ育った国。
山々の輝く緑と、白く荘厳な神殿を戴く神の国。
生まれたときから、国を、そこに生きる人々を愛してきた。
あの日の悲鳴と怒号。天高く立ち昇る黒煙が、彼女の全てを変えてしまった。
国を愛する気持ちは確かにあるのに、それを凌駕してしまう悲しみと恐怖。
思わず震えてしまった冷たい手を、誰かが握った。
それが誰なのかを、サリアは知っている。
知らぬうちに笑みが浮かんだ。
手には自分以外の温もり。
それが、サリアの心を落ち着かせている。
「扉」の向こうで出会った不思議な人。
夜空のように静かで、綺麗な人。
今にも取り乱してしまいそうな不安定な心が平静を保っていられるのは、きっと彼の掌があるからだ。
この温もりがあれば、自分は自分でいられる。
素直に思った。
光が消えた。
サリアはゆっくりと瞼を上げた。
辺りは薄暗い。
二、三度瞬きをして、光の変化に目を馴れさせる。
霞掛かった視界が鮮明になり、改めて自分のいる場所を確かめようと周囲を見回すと、目の前には薄い絹のカーテン。それが見覚えのあるものであることには、すぐに気が付いた。
躊躇いながらカーテンをそっと捲ると、やはり見慣れた光景があった。
神殿の地下にある、「扉」を祀る祭壇の部屋だ。
帰ってきたのだ。
サリアは複雑な思いで立ち尽くした。
そんな彼女の隣を、リオが何の躊躇もなくすり抜けていく。
リオが前に進むと、サリアも引っ張られて前に進んだ。
長身のリオと小柄なサリアでは一歩の長さがかなり違う。自然小走りになってしまって、サリアは事態に気付いた。
二人の手は、まだ繋がれたままだったのだ。
気付いた途端、サリアは耳まで真っ赤になった。
今までは不安な気持ちが先立っていたので気にもしなかったが、一度気づいてしまうと、かなり恥ずかしい。
部屋の中程で足を止めたリオは興味深そうに部屋を見回していて、サリアの変化にも繋がれたままの手にも気付いていないようだった。
「あ、あの……」
恥ずかしさで自然と声が小さくなる。それでも部屋が静かだったため、その声ははっきりとリオの耳に届いた。
「どうした」
振り返ると真っ赤になったサリア。具合でも悪いのかとリオが首を傾げると、さらに小さな声でサリアが自分の手を指差した。
「あの、……手……」
そこでようやく、リオも手を繋いだままだったことに気づいた。
「すまない」
リオは淡々と謝罪の言葉を口にして、さりげなく手を離した。
離れていく温もりに何だか心細くなって、サリアは所在無さげに天井を見上げた。
天窓からは微かな光が漏れている。
星だ。どうやら今は夜らしい。
道理で人の気配がしないわけだ。
神殿の夜は早い。星が出ているのであれば、もうほとんどの人間が休んでいるはずだ。
それをリオに説明すると、彼は一つ頷いて外に出ることを提案してきた。
少し躊躇ったものの、いつまでもここにいるわけにもいかず、サリアたちは足音を忍ばせながら階段を上り、神殿の回廊に出た。
回廊は静まり返っていた。
ディオグランの兵士が見回っているかもしれないと注意深く辺りを窺ってから二人は素早く回廊の柱に身を隠しながら神殿の門扉までたどり着いた。
幸運にも誰にも見咎められることがなかった二人は、とりあえず朝まで身を潜めることができる場所を探しながら街に足を踏み入れた。
サリアの案内で街を見渡せる高台までやって来る頃には、空も白み始めていた。
レンガ造りの街並みは、たった数日離れていただけだというのに、サリアの目にとても懐かしく映った。
そして、彼女は思い知った。
現実から逃げたのだと。
この街に暮らす人々を捨てて、逃げたのだ。
彼らは逃げることすらできなかったというのに。
濡れた感触が頬を伝った。
泣いているのだと気付いたのは、暖かな指が頬の涙を拭ってくれたとき。
隣を見上げると、彼はじっと街を見つめている。
再び揺らぎかけていた心が落ち着いていく。
そうだ。
もう、逃げない。
どんなに辛くても。
サリアは誓い、地平線から昇りはじめた朝陽を見つめた。
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