白の影 黒の光

back | next | novel top

41

「終わりました、メシください!!」

 上司の部屋に入るなりそう言ったラウルに、上司であるグランツは苦笑した。
 ラウルはそんな彼に、鼻息も荒く大量の手紙が放り込まれた籠を差し出し、目をぎらつかせている。よほど腹が空いているのか、その様子は鬼気迫っている。

「わかった、わかった。取りあえず、籠おろせ」
 苦笑しながら言われたラウルは、早く朝食に行きたい気持ちをこらえながら、グランツの足元に籠を置いた。
 グランツは籠から適当に手紙を選んで軽く検分しながら、その一番上に置かれた麻紐で纏められた束を取り上げた。

「今朝の分はこれだけか?」
「はい。他国の王族からの書状とか、他国の神殿からの手紙です。ちょっと判断に迷ったんで」
 ラウルの答えに頷きを返しつつ、グランツは自らの執務机に戻り、小さなナイフで麻紐を切った。
 机に手紙を並べつつ差出人を確認している上司を尻目に、ラウルはそわそわと部屋の中を見回した。壁に掛けられた時計を確認して、朝食が終わる時間を逆算する。そろそろ出ないと、相当急いでご飯を掻きこむことになりそうだ。
「あの、もう行ってもいいですか?」
 手紙に夢中になっている上司に声を掛ける。そうしないと、時間をすぐに忘れてしまう上司の性格を、彼はよく知っていた。
 案の定夢中になりかけていたグランツは、ラウルがまだ残っていたことに気づいて、頷いた。
「ああ、早く朝食に行け。食事が終わったらいつものようにこの手紙をカインに届けるように」
「りょーかいしました」
 朝食に行ける喜びで気分が浮ついているラウルは、自分よりもかなり階級の高い軍人であるグランツに軽い返事を返した。
 だがグランツは苦笑いを浮かべただけで、特段彼を咎めることもなく自らの職務に戻っている。
 グランツも人懐っこいラウルを気に入っている一人だった。

 うきうきと食堂に向かう彼に、さまざまな人物が声を掛ける。その中には、アルスフォルトの神官の姿もある。
 軽い挨拶程度の会話だが、そんな姿を道行く軍の人間に見られても、彼らはグランツ同様咎めることなく、逆にほほえましい眼差しで見遣っていくだけ。
 まさしく、ラウルの人徳だった。

 食堂に着いたラウルは、同僚や先輩にからかわれつつ食事に箸をつけた。
「お、ラウル、今日は遅いじゃねぇか」
「これでも急いだんですよ」
 先輩の軽口に、ラウルは不機嫌そうに眉を顰めた。そんな彼に、先輩は豪快に笑った。
「なんだ、つまんねぇの。久々にお前が朝飯逃すとこ見られるかと思ったのによー」
「なんですか、ソレ」
 あんまりな先輩の言いように軽く殺意が沸いたが、ラウルは適当に応じて食事を再開した。

 その後も絡んでくる奴らはいたものの、ラウルはそれを軽くいなしながら無事に食事を終えた。
 食堂で給仕をしているおばちゃんたちに「うまかった」と礼を言ってから食堂を後にして、彼は再びグランツの執務室を訪れた。
「遅くなりました」
「その様子だと朝食には間に合ったようだな」
「あなたもですか……」
 笑みを含んだ口調で話すグランツに、この人もか、とげんなりしたが、ラウルは早々に気持ちを切り替え、仕事に戻ることにした。
「じゃあ手紙届けてきます」
「ああ、頼むぞ」
 籠を持ち上げて扉に向かうラウルに、グランツは読んでいた書類から顔も上げずに言った。
「行ってきます」
 ラウルはグランツにそう声を掛けて扉を閉めた。

 仕事なのだから当たり前なのに、事あるごとに部下にねぎらいの言葉を掛けるグランツは、多くの軍人から尊敬されている。
 グランツのそういう性格を慕っているものの、ラウルは彼を「尊敬」するという心情にまでは至っていない。そしてそれを知る者は、ディオグランの軍人の中には存在しない。

 グランツはラウルの直属の上司だ。
 誰もがみな、ラウルはグランツを尊敬しているものだと信じきっているし、そう見えるように彼も振る舞いには気をつけてきた。
 ラウルが尊敬しているのはグランツではない。
 彼が真に信頼している人物は、ディオグランの人間ではない。

 とある部屋の扉の前で、ラウルは足を止めた。
 少しだけ緊張した面持ちで、扉を叩く。返事はすぐに返ってきた。柔らかい、若い男の声。
「失礼します」
 扉を開けて中に入る。
 彼を迎えたのは、位が高い神官のローブを着た、声のとおり柔らかい雰囲気の若い男性。
 ラウルは軽く頭を下げて足を進め、彼の事務用の机の上に籠を置いた。

 籠を置く瞬間。
 ラウルは右手の中に潜めていた小さな紙片を、籠を支える振りをして手紙の山に紛れ込ませた。
 そして、何事もなかったかのように男性と向き合い、固い口調で声を掛けた。
「今朝届いた分です」
「ご苦労様でした」
 男性は軽く笑みを浮かべてラウルをねぎらった。少しだけ、ラウルの硬い表情がほぐれる。
「いえ、仕事ですから。では、失礼いたします。――――カイン様」
 礼をとり、部屋を後にする。
 これから報告をしにグランツの執務室に戻るのだ。

 ラウルが真に信頼する人間は、ディオグランには存在しない。
 そんな彼がディオグランの軍に籍を置くのは、ただ一人のため。

 そう。彼が信じるのは、彼を救ってくれた、ただ一人。
 カイン以外にいない。
back | next | novel top
Copyright (c) 2010 ion All rights reserved.
inserted by FC2 system