白の影 黒の光

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42

 ディオグランに籍を置く軍人であるラウルの生まれは、アルスフォルトであった。敬虔な信者である両親と、勝気で面倒見がいい姉の4人家族で、末っ子であるラウルは両親と姉に可愛がられつつ8歳までアルスフォルトで生活していた。
 その後彼は、父親が商売を始めたことをきっかけに、様々な国を回るために生まれ育ったアルスフォルトを一家で離れた。
 ある程度商売が落ち着いた一家は、新興国であるディオグランに居を構えた。
 父親には商売の才があったらしく、家は裕福でそれなりにいい暮らしをしていた彼の人生が変わったのは、15の夏のことだった。

 青年期を迎えるにあたり、彼の父親は息子に商売のノウハウを伝授すべく、一人で馴染みの商家に商談に行かせることにしたのだ。
 母と姉は「まだ早い」と渋い顔をしたものの、行き先の商家が古い付き合いのある家であったことと、重要な商談についてはある程度父親が話を付けてしまっていることもあり、それほど強固な反対に遭うこともなく、すんなりと話は決まった。
 ラウル自身父親の仕事に多少の興味はあったので、二つ返事で了解した。

 彼が向かう家は、一家が昔暮らしていたアルスフォルトにあった。
 アルスフォルトまでは結構な長旅だったが、父親が専用の馬車と護衛を手配していたため、大きな災難に遭遇することもなく平和に旅を終え、ラウルは約7年振りに故郷の土を踏んだ。
 特に感慨もなく彼が商家で商談を済ませたのは、家を出発してからおよそ3日後のことだ。
 商家の中年の夫妻には何度か会ったことがあり、彼らもラウルのことを覚えていたので、ラウルは想像以上のもてなしを受け、しばらくアルスフォルトに滞在することになった。

 その日は昼食を済ませた後、神殿に供物を届けに行く夫人のお供で、神殿を訪れていた。

「ラウル君は覚えているかしら。あなたたち一家がまだこの国に住んでいたころ、よくあなたとあなたのお母様と三人で、こうして神殿に供物を届けに来ていたのよ」

 そう嬉しそうに話す夫人に、ラウルは内心辟易しながらもにこやかに相槌を打った。

 この夫人は話し好きで、事あるごとにラウルに昔話をしたがるのだ。昨晩などは休めないかと思うほど彼女の話が尽きず、夫に止められるまで話は続いた。できることならもっと早く止めて欲しかったと思ったことは、内緒だ。

 まだ続いている夫人の話を軽く聞き流しながら、二人は神殿の中に入っていった。
 神殿に入るのは国を離れて以来だが、改めてその雰囲気にラウルは呑まれた。
 様々な国を回り、その土地の神殿を訪れたことは数多くあったが、やはり神の国の神殿は別格であった。
 空気が違うのだ。
 荘厳で清廉な神殿の空気は、その場に身を置くだけで清められている心地がして、まったく不快には感じなかった。
 やはり自分はアルスフォルトの人間なのだと、わずか15のラウルでも納得ができた。

 供物を献上する祭壇には、ラウルより少し年上と思われる少年が一人佇んでいた。
 服装は神官が身に付けるローブ。
 幼さの残る顔に柔らかい笑みを湛えて、少年はラウルと夫人を迎えた。

「カイン様、供物を持ってまいりました」

 自分の息子ほどの少年に、夫人は深々と頭を下げ、ラウルも慌てて夫人に倣って頭を下げた。

「これはこれは、いつもありがとうございます。神も熱心に信仰してくださるあなた方からの贈り物に、ことのほかお喜びになることでしょう」

 少年は柔らかい声音で夫人に礼を言い、彼女は満面に喜色を表わして彼に供物を手渡した。
 ラウルは、その様子を茫然と眺めていた。
 自分と同年代なのに、落ち着いた大人のような彼に、こんな人間もいるのかと殴られたような衝撃を感じていたのだ。
 そんなラウルに気づき、彼はにこりと笑って声を掛けた。

「息子さんですか?」
「あ、いえ、おれは……」
 
 焦って否定しようとしたラウルを遮って、夫人はにこにこと機嫌よく話し出した。

「いえいえ、知り合いの息子さんなんです。昔はアルスフォルトにすんでいたんですけど、商売を始めて様々な国を巡っていましてね、今はディオグランに暮らしているんです。お父様の跡を継ぐ勉強のために一人で商談に来たんですのよ」

 手放しでラウルを褒める夫人に、照れるを通り越して居心地の悪さを感じたラウルは慌てて夫人を止めようとしたが、少年は優しい表情のまま頷きながら聞いていた。

「そうなんですか。まだ若いのにお父様の手伝いをしているなど、本当に素晴らしいです」

 その言葉に揶揄や含みは一切なく、ラウルは恥ずかしそうに俯いてしまった。
 自分はそんなに純粋に父親の手伝いをしようと思っていたわけではない。この国に来たのも、どこか旅行気分でいたのだ。

「いや、おれは……」

 小声になってしまったラウルに、少年は何かを感じて尋ねた。

「いつまでアルスフォルトに?」
「まだ、あと4、5日は滞在するつもりです」
「そうですか」

 首を傾げながら答えたラウルの言葉を聞いて、少年は少し考え込んだ後、にっこりと笑っていった。

「ぜひまた来てください。もっとあなたとお話してみたい。実は私、同年代の友人がいないんです」
「おれで……よければ」
 
 最後のほうは恥ずかしそうに声を潜めた少年の申し出に、ラウルは何故か素直に頷いていた。
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