白の影 黒の光
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その人は、柔らかい笑みそのままの穏やかな人だった。
出会った次の日、再び神殿を訪れたラウルは、カインと呼ばれていたその人に暖かく迎えられた。
「こちらへどうぞ。少し待っていて下さいね」
ラウルはカインに案内された部屋のソファーに大人しく座った。
カインはそれを見届けると、一言断ってから部屋を出ていった。
手持ちぶさたになったラウルは、キョロ、と部屋を見回した。
窓際に置かれた机がひとつとベッド。クローゼットと、それから自分が今腰かけている応接セット。部屋にある家具はどれも装飾の少ないシンプルなものだ。
質素倹約を掲げる神殿ならば当然で、これでも家具が揃っている方なのだか、裕福に暮らしてきたラウルにとっては、驚くほど粗末だった。
こんなところで暮らせと言われたら、一週間もたたないうちに嫌になるだろうな、とぼんやり考えていると、部屋の主であるカインが盆を片手に戻ってきた。
慌てて居住まいを正すラウルにくすりと笑みをこぼし、彼の前に紅茶の入ったカップを置いた。
「あ、ありがとうございます」
礼を言うラウルに、カインは申し訳なさそうに眉を下げて苦笑した。
「せっかくまた来て頂いたのに、こんなものしかなくてすみません」
「いや、おれの方こそまた押し掛けてしまって」
お互い恐縮して謝りあっているうちに、何だかおかしくなってきた二人は、顔を見合わせて笑った。
「……神殿の居住区って、初めて入りました」
「若い方にはつまらない所でしょう」
「そうですね……って、すみません!!」
ついうっかりと頷いてしまったラウルは、慌てて謝った。
カインは気を悪くした様子もなく小さく笑った。
「いいえ、構いませんよ。私は幼い頃からここで暮らしていますから慣れたものですが、俗世とは切り離されたここがどんなに特殊な場所なのかはよく分かります。遣いなどで外に出たときには、色々なものに興味を引かれてしまって……。あ、この話は内緒で」
悪戯っぽく人差し指を口に当てるカインに、ラウルは年相応の少年らしさを感じて、思わず笑って頷いた。
それから二人の会話は弾んだ。
自己紹介から始まり、お互いのことや、今世間の若者の間で流行っていること、神殿での暮らしやラウルの父の商売の話まで、話が絶えることはなかった。
ふと気づいた時には、空は茜色に染まり、ちらほらと星が瞬き始めていた。
「す、すみません、随分長居をしてしまったみたいで」
「おや、もうこんな時間ですか。こちらこそ、遅くまでお引き止めしてしまったようです。申し訳ない」
挨拶もそこそこに神殿を辞したラウルは、帰る道すがらぼんやりと空を見上げた。
空は茜色から濃紺へと色を変えつつある。空に浮かぶ星が、いつもより輝いて見えた気がした。
特別何か悩みがある訳ではない。
それでもカインと話をして、心が軽くなったような気分だ。
その日から、ラウルはカインの元を度々訪れるようになった。
何をするでもない、とりとめのない話をするだけだ。
それだけでも、ラウル自らの中にあった小さなモヤモヤが消えていくようだった。
ああ、おれ、もしかして悩んでたのかな。
唐突にラウルがそう思ったのは、アルスフォルトを離れる前日のことだった。
滞在中の習慣となりつつあった神殿への訪問も、今日で最後。
カインに滞在中の礼を言い、神殿を出たとき突然そう思ったのだ。
自分の一生は、親の後を継いで商売をしながらある程度の年齢になったら嫁さんをもらって子供を育てて……そう決まっているのだと何の疑問もなく思っていた。
だが、カインは自分とは全く違う人生を歩いている。
初めて会ったときに感じた居心地の悪さは、目的も持たずに日々を過ごしている自分との差を感じて、気後れしていたのだ。
「……もしかして、おれにも違う生き方が出来るのかな」
声に出して呟くと、今まで見えなかった道が、見えたような気がした。
出立の日は快晴だった。
世話になった夫妻に礼を言い、別れを惜しむ夫人を何とかなだめて馬車に乗り込んだとき、ラウルは名を呼ばれて馬車の小窓を開けた。
そこにいたのは、急いで来てくれたのだろうか、息を整えているカインの姿だった。
「わざわざ見送りに来てくれたんですか」
驚いて訊ねると、カインは柔らかく笑った。
「間に合って良かったです。道中、お気をつけて」
「ありがとうございます」
そう言って笑ったラウルを見て、カインは満足したように頷いた。
「……どうやら、道が開けたようですね」
「え?」
「これからの未来に、どうか神のご加護があらんことを」
「……ありがとうございます。本当に」
それはラウルの心からの礼だった。
やがて馬車は走り始め、見送る人々の姿が次第に小さくなる。
門を抜けて国を出てからも、ラウルはしばらく遠ざかる白皙の神殿を見つめ続けていた。
晴れ渡った清々しい気分だ。
まだやりたいことなんて見つかってないけれど、いつかは見つかると確信して、これからの生活に思いを馳せていた。
彼を待つ悲劇もまた、少しずつ近づいてきていることも知らずに。
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