白の影 黒の光

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49

 彼は台に立つと、笑みを浮かべて人々を見渡た。

 途端に水を打ったように広場は静まり、集まった民は皆、救いを求める眼差しで青年を見つめている。

 リオは小さく息を吐いた。


「……今日という善き日に皆さんとお会いできたことを、神に感謝します」


 青年が一言呟くと、周囲から感極まったようなどよめきが起こる。

 青年の背後には神官らしき人物しか控えていなかったが、広場の周りには軍服がちらほらと見えている。
 おそらく監視役だろう。

 青年が一言喋る度に声を上げる群衆を、忌々しげに眺めているが、周囲を警戒する様子はあまり見られない。

 余程のことがない限り神殿の動向に口を出すつもりはないのだろうが、国を占拠している軍にしては異様な光景に見えた。


 
 講話は何事もなく進み、しばらくすると青年が集まった民に感謝の言葉を述べ始めた。

 まだ講話が始まっていくらも経っていないように思えたが、どうやら今回はもう終わりらしい。


 リオは不思議に思って隣にいた人の良さそうな女性に訊ねた。

「もう終わりなのか?」

「ああそうだよ」

「随分早いな」

「そりゃそうさ。カイン様はお忙しいんだから。そりゃあたしたちももっとお話を聞きたいけど、今はディオグランの監視の目もあるからねぇ」

 恰幅のいい女性は大げさにため息をついた。

「ディオグランに攻め入られる前は、セレイナ様がもっとお話をして下さっていたけれど、今は仕方ないよ。講話が聞けるだけマシってもんさ」

「そうだな……」

 苦笑いで話す女性に、リオは頷いた。
 今は民にとって苦しい時期だ。
 どこに行ってもディオグランの軍人が街を闊歩していて、普段と変わらない生活は許されているが、常に監視されている。

 そして、軍人を見る度に思い出すのだ。
 国を奪われた夜を。


 民の心情を思って黙り込んだリオに、女性は明るい声で訊ねた。

「お兄さんは講話は初めてかい?」

「ああ」

「じゃあ、あそこに並んでくるといいよ」

 そう言って女性が指差した先には、先程まで講話を聞いていた民が一列に並んでいた。

「あれは?」

「カイン様からお言葉を賜っているのさ。子供が産まれたとか結婚するとか、祝福を頂いているんだよ。あんたには何かないのかい?」

 そう問われたリオは、とっさに口を開いた。

「妹が……もうすぐ嫁ぐ予定だ」

「妹さんかい? じゃあ祝福を頂きに行ってくるといい。子宝にも恵まれて、きっと幸せになれるよ」

「ああ」

「しかし、あんたの妹さんなら、さぞかし別嬪さんなんだろうねぇ」

 そう茶化す女性にリオは曖昧に頷いた。


 親切な女性とはそこで別れて、リオは列に並んだ。
 順番を待って少しずつ前に進む人の流れを眺めながら、リオはポケットから四つ折りの紙片を取り出した。

 青年と言葉を交わしている人々の中には、何か紙のような物を渡している様子も見られる。
 
 子が産まれた者は子の名前を、結婚する者は自分と相手の名前を書いた紙を渡しているようだ。

 青年の背後に控えている軍人が紙を覗き込み、不審な点がないか確認していたが、渡すこと自体は咎められていない。


 神に祈ってもらうのだと周囲の人々が話しているのを聞いて、リオはサリアから託された手紙を渡すことができそうだと安心した。



 人々が青年と交わす言葉は短いものだったが、それでもかなりの人数が並んでいる。遅々として前には進まなかったが、辛抱強く待っていれば自然と順番は回ってくる。

 リオの前に並んでいた二人組はどうやら新婚らしく、青年から声を掛けられるとはにかんで微笑み合った。

 一礼し、寄り添って帰路につく彼らを見送る青年の前に、ゆっくりと進み出る。

 青年が振り返り、リオを見て少し驚いたように瞬きしたが、すぐに優しい表情に戻った。

「これを」

 リオは逸る気持ちを抑えて紙片を差し出した。

 青年は頷いて受けとり、これまでと同じように紙を開いた。


 真っ白な手のひらから少しはみ出す大きさの紙に描かれていたのは、文字ではない。

 鳥を模した紋様。


 見覚えが、あった。

 青年は一瞬言葉に詰まり、紙を見つめた。


「……『印』だ」

 呟かれたリオの声に、青年は顔を上げた。

 二人の視線がまっすぐにぶつかる。

「妹の『印』だ。どうか、祝福を」


 視線を逸らすことなく、リオはただ静かに告げた。
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