白の影 黒の光

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05

 光の中に飛び込んだ後のことはあまり記憶にない。

 落ちていく恐怖と激しい風圧で気を失ってしまったからだ。

 ただ、それでもかすかに覚えていることがある。

 落ちる直前――。
 振り返ったとき、たくさんの人が驚いた表情で見つめていた中、一人よく見知った顔があった。目を見開き、何かを叫んでいたが、聞き取ることはできなかった。

 振り返ったのはただ一度だけ。
 
 不思議なことに、何の感情も湧いてこない。真実を知った時には張り裂けそうなほど胸が苦しかったのに、扉をくぐった途端につま先から洗われていくような感覚でまっさらに消えてしまっている。
 あの人の驚いた顔。
 もしかしたら笑みすら浮かんでいたのかもしれない。


 かわいそうな人だ。
 少女は彼女を見てそう思った。

 きっと彼女も自分と同じように、ひとつの思いに囚われてしまったのだろう。
 ただ、自分が彼女と違ったのは、彼女のように踏み出す勇気がなかった。
 彼女は、たとえ方法が間違っていたとしても、囚われた思いを叶えようと自らの力で切り開いていくことを選んだ。
 でも、自分にはその強さがなかった。


 あの人は幸せになれるのだろうか。


 薄れいく意識の中で少女は思った。
 少女にとって、彼女は大切な人だったから。
 裏切られたと知っても、思いを消せなかったくらいに。

 
 どうか、あの人が幸せになるといい。


 少女は祈っていた。


 そこで記憶は完全に途切れた。


 少女はぼんやりとベッドに座り込んでいた。

 目が覚めたのはつい先ほど。
 知らない天井と知らない家具。入ったことのない部屋。
 少女が目覚めたのは、見知らぬ部屋の窓際に据え置かれたベッドの上だった。
 掛けられていた柔らかい毛布を手に取り、首をかしげてしげしげと眺めている。

 まだ意識は完全には覚醒しておらず、自分の置かれている状況も理解しきれていない。
 

 そんな少女の霞掛かった意識が一気に引き戻された。少女は突然辺りを見回しはじめ、やがて一ヵ所に視線を定めた。

 微かに足音が聞こえる。 
 足音は徐々に少女の見つめる扉へと近づいていた。
 無意識に側にあった毛布を手繰りよせ、握りしめる。

 やがて足音は扉の前で止まり、かちりと小さな音をたててノブが回された。

 音をたてないようにと気遣っているのか、扉は思いのほかゆっくりと開かれた。
 

 廊下に立っていたのは、青年だった。
 彼はベッドの上に起きあがっている少女に気づくと、後ろ手に扉を閉めて部屋に入った。

「起きたのか」
 
 青年の問いかけに、少女は戸惑って近づいてくる彼を見上げた。
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