白の影 黒の光
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「神殿の皆さんは私にとても良くして下さいました」
サリアは窓から離れ、部屋のランプに火を入れ始めた。
いつの間にか空は藍色に変わり、月が顔を覗かせている。
リオは黄昏が去っていたことにようやく気付いた。
部屋のすべてのランプに火が灯り、窓を閉めたサリアはベッドに腰を下ろした。
「当時の最高位の神官様は私の素性を詳しくは話さず、身寄りのない子として神殿で育てることになったと、それだけを他の神官の方々にお話になっていました。だから私は神殿で静かに過ごすことができたのです」
当時を思い出しているのか、サリアの瞳はとても穏やかだった。
幸せだったのだろう、とリオはぼんやりと思った。
「私の力のことを知っていたのは、全部で三人。当時の最高位の神官様と、リオさんが今日お会いになったカイン様。そして、もう一人」
そこでサリアは言葉を区切った。
無意識に手を強く握る。
名を口にするだけなのに、動揺が蘇った。今までは躊躇いなく話せていたのに。
リオは、やはり何も言わなかった。
サリアは、「前に進む」と言ったのだ。ならば、どんなに時間が掛ったとしても待つ。
彼女が、一歩を踏み出せるまで。
サリアには分かっていた。リオが待っていてくれていることが。そんな人だから、話そうと思ったのだから。
逃げてはいけない。
前に進みたいのなら、悲しみも悔しさも幸せだったあの時の気持ちも、すべてを抱いていかなくてはならない。
全部サリアの大切な一部だから。
サリアはぎゅっと目を瞑った。
大きく息を吐き出し、ゆっくりと瞬きする。
彼女の目に映るのは、静かに彼女の言葉を待つリオの姿。
嘘のように動揺が鎮まった。
なんて不思議な人だろう。そう思って、サリアは少し笑った。
口を開くと、するりと言葉が出た。
「先代の最高位の神官、セレイナ様でした」
心が強くて優しくて、綺麗な人。
初めて会ったとき、そう思った。
名を呼んでくれる声もとても綺麗で、すぐに大好きになった。
姉のように慕い、彼女も妹のように可愛がってくれた。
信じて、いたのに。
「ある日夢を見ました」
サリアはランプの炎を見つめた。
橙色の光。
でも、あの炎は違った。
何もかもを燃やしつくす、紅。
「街が炎に包まれる夢。そして、それはすぐに現実になりました」
信じたくなくて、走った。夢中になって走って、辿りついたのは、街を一望できる高台。
視界いっぱいの街の景色に、夢で見た炎が重なった。
泣き叫ぶ子供の声、逃げ惑う人々の悲鳴が、耳の奥に絡みついて離れない。
声にならない悲鳴を上げた。
「……国が堕ちたあの日、私は神殿にいました。この日がついに来てしまったのだと、絶望感でいっぱいで、押しつぶされてしまいそうで。……誰かに助けてほしかった。だから、セレイナ様のところに行ったんです」
扉の向こうで交わされていた会話。
戦争の真実を、知ってしまった。
「信じたくなかった。何もかも。あんなに優しくて、民のことを想っていたセレイナ様が裏切ったことも、夢が現実になってしまったことも」
混乱の中、神殿を彷徨った。
どこに行けばいいのか、もう分からなかった。
「セレイナ様の部屋を離れた私は、『扉』のある祭壇までやってきました」
どこでもいい。ここではない、何処かに行きたい。
そう思って、「扉」に触れた。
「……そして私は、リオさんに出会いました」
静かなる深淵の森で、二人は出会った。
それが、彼女の真実。
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