Trip Travel 〜旅のお供はしゃべる犬〜
第一話 旅のお供はしゃべる犬? 8
あたしはパニックになりすぎていたんだと思う。
だって、一番不自然なことに気づいていなかったんだから。
そう。それは。
「……日本語しゃべってる」
犬が日本語をしゃべっているっていうことだ。
初めて会ったときから、あたしはこの犬と自然に会話していた。まったく、これっぽっちも不思議に思わずに。
「もしかしてあたし、知らないうちにこっちの言葉しゃべってるのかな」
だとすればすごい。新たな才能発見だ。
犬語をしゃべる女子高生。テレビに引っ張りだこ。
……ああ、現実逃避をしている。
仕方ないじゃない。こんな非現実的な状況で、普通でいろと言うほうが無理だ。
現に、犬が目の前でしゃべってる。
しかも、あたしはその言葉を理解している。
「……ひとつ聞いてもいい?」
訊ねると、犬は頷いたので、あたしはおそるおそる聞いた。
「あたしの言ってる事、理解できる?」
「まっちとからいたーのことか? まったく理解できないな」
「そうじゃなくて。あたしの言葉、分かる?」
一瞬、犬は何を言っているのかと眉間にしわを寄せたが、すぐに「分かる」と言った。
「あ、そう……」
この世界は、日本語が公用語なのか。
それとも、未来の猫型ロボットの便利道具的な何かが自動的に作用しているのか。なんとかコンニャクみたいな。
あぁ、考えれば考えるほど分からない……。
数分前の、いつになく前向きなあたしは、とっくの昔にどこかに行ってしまった。
疑問はほかにもあった。
「こんなトコまで来ちゃって……。あたし、帰れるの?」
一番重要なことだ。
まさか、一生ここで生きて行かなくちゃならないの?
そんなの困る。学校だってあるし、友達にも会いたい。家族……は微妙だけど、あんなんでもあたしの家族だ。会いたいに決まってる。
「どうしよう……」
どこに行ったらいいのか、何をしたらいいのか分からない。
一人で悶々としているあたしを見かねたのか、犬がそっとマグカップを差しだしてきた。中身は白い液体。ミルクみたいだ。
「なんだかよく分からないが、今日は何も考えないで休め。顔色が悪いぞ」
そう言われて、あたしは鞄から鏡を取り出した。
うわ、酷い顔色。自分でも驚いた。
犬の好意を素直に受け取って、あたしはぐっすり休むことにした。
すごく、疲れた。
「そう言えば、まだ名乗っていなかったな」
おもむろに犬が言った。あたしもはた、と気づく。お世話になるなら、挨拶くらいしなくちゃ。
「そうだった。あたしは、真奈。佐藤真奈です。歳は16」
自己紹介してぺこりと頭を下げたあたしを、犬はまじまじと眺めた。
「16? 俺より年下なのか」
今度はあたしがびっくり。この犬、あたしより年上なの?
「俺はセスヴァングール・グラフィス。歳は21だ」
「え? セス……何?」
覚えにくい名前だな……。あからさまに顔をしかめたあたしに、セス……何とかと名乗った犬はがっくりとうなだれた。
「……セスでいい。お前は……マナでいいか?」
「あ、うん」
年上だけど、犬に敬語っていうのもな……。
あたしは何も考えずにタメ語でしゃべることにした。犬も気にしていないみたいだし。
一通り自己紹介が済んだところで、犬が不意に窓の外を見た。
つられてあたしも視線を外に向け、すっかり夜になったことを知った。
「もう夜……」
「最近は日が短くなったな」
セスがしみじみしてるけど、こちらの季節の移り変わりのことなんて知らないあたしは、「ふぅん」と軽く流した。
その時、視界をよぎったものを見て、あたしは驚きのあまり立ち上がって窓に駆け寄った。
「何あれ!! 月が緑色だ!!」
そう。夜空に浮かんでいたのは、緑色の月だった。しかも、形が楕円形。
ビックリ箱みたいな世界。この世界に来て、あたしは驚きっぱなしだ。
しかしあたしは気づいていなかった。
本日一番の驚きが待っていることを……。
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