世界の果てで紡ぐ詩

39.

 レイスが言った言葉を思い返して、ユイリは唇を真一文字に引き結んだまま心の中で一人ごちた。

(なぁにが好奇心旺盛な子たちの群れに放り投げることはしない、よ。ウソつき)

 それが単数であれ複数であれ、今この瞬間、誰も助けに来てくれないではないか。

 目の前に座っている少女を上目づかいで見つめたら目が合ってしまい、ユイリは慌てて視線を下に逸らした。

 無遠慮にじろじろと観察されるのは、あまり気分の良いものではない。
 どこまでも呑気なココは女主人のピンチに気づくことなく、二人分の紅茶とお菓子を出すと余計な気を回してどこかへ行ってしまった。
 こうしてココにも見放されてしまったユイリは、不幸にも一番関わり合いになりたくない人物と二人きりにされてしまったのである。

 彼女はご丁寧にも――ココのいる手前――自己紹介をしてくれたが、実際その必要はなかった。
 今日一日で耳にタコができるほどその名前を聞いていたし、ネア・ノエルの講義で詩学の概論をそらんじていた姿はとても印象的だったからだ。

 彼女の名前は、セシリア・ウィンスレット。
 言わずと知れた、実行役員の少女である。

 そんなことは露知らないココは、窓の外が真っ暗になった頃に聞こえたノックの音に首を傾げながらも、警戒することなくドアを開けてしまった。
 そこでどんな話を聞かされたのかは分からないが、ユイリの元に戻って来たココの後ろにキャラメル色の髪の少女を見つけて、ユイリはあんぐりと口をあけて固まってしまったのだった。
 セシリアの行動は素早く、ユイリが茫然と自失している間にココと話をつけ、あれよあれよという間になぜか部屋に二人きりで取り残されてしまった。
 セシリアがしたたかなのか、ココが呑気すぎるのか。
 おそらく両方だろうなと思うユイリ自身も、上手く対処できたとは言えなかった。

 体を硬直させてじっと俯いているユイリを、セシリアは頬杖をついて疑わしげに見つめている。
 仮にもここはユイリが与えられた部屋であるはずなのに、セシリアの言動の方が落ち着いて見えた。

「ふーん。思っていたよりも普通ですのね」

 ユイリが思わず顔を上げると、セシリアは薄い水色の瞳に落胆と安堵の両方を織り交ぜた色を浮かべていた。

(あっさりバレてるじゃん)

 実行役員への対抗手段として脅威を持たれていなければいけないのに、セシリアは一目でユイリの凡庸さを見抜いたようだ。
 これはユイリの役者不足としか言いようがない。
 誰を恨んでも意味ないことと分かっていても、ユイリを餌に使った三人組の判断の甘さを恨めしく思った。

 セシリアは豊かな香気をくゆらす紅茶には目もくれず、ユイリ観察を続けている。

 そのしつこさにいい加減うんざりしたユイリは、それまで下に向けていた頭を勢いよくあげた。

「誰もかれも当てにならない噂話ばかりを信じているみたいですけど、はっきり言ってとても迷惑ですから!」

 突然のユイリの剣幕に、セシリアは目を丸くした。

「なぁんだ。ちゃんと言葉を話せるのね」
「……私をなんだと思っていたんですか」
「なんとも思ってはいないわ。ただあなたはアルストゥラーレの出身でしょう? わたくしはウェレクリールから出たことがないから分からないのだけど、国が違うと文化も違うっていうから、てっきり言葉を知らないのかと思っていましたわ」

 ユイリは、反論しようとした口を閉ざして視線をあらぬ方向に彷徨わせた。
 いくら経歴にアルストゥラーレの出身だと書いてあっても、あまり触れてほしくない話題だった。
 セシリア以上に、ユイリはアルストゥラーレについて良く知らないのだから。

 おどおどした雰囲気を纏いだしたユイリを見つめるセシリアの瞳に、詩学の講義の時と同じ、値踏みするような色が浮かんだ。

「なぁるほど。それもウソってわけね」
「……うっ。ま、まさか。そんなことあるはずが……」
「ないとは言い切れないんじゃなくて?」

 にべもなくセシリアは言い切った。

「それと、くだらない言い訳はしなくて結構。わたくしはただ事実を確認しにきているだけですから。いいこと、あなたのことはとある方から聞いているのよ。噂の影にいるのが神官長様だってことも知っているんですからね」

 セシリアの落とした言葉は、彼女が予想したものとは違う形にしろ、想像以上の効果をもたらした。
 最初何を言われたのか分からなかったユイリは、セシリアの言葉を理解するにつれて顔から血の気を引かせ、数秒後には逆に顔を真っ赤にした。

「そんな、まさかそんなことあるわけが……!」
「ふん、驚いたふりをしたって無駄ですわ。シェイラたちはわたくしより一歩先んじたと油断しているけど、情報収集能力にかけてはわたくしの方が断然上。あなたの企みは全部お見通しってわけよ」
「た、企みって……お見通しって……」

 もはや言葉にすらならず息も絶え絶えなユイリに、セシリアは不審そうな表情を隠そうともしなかった。

「何よ。そんな顔をしてわたくしを騙そうとしても、そうはいかなくてよ。この情報はあの方が教えてくれたものですもの、間違いがないことは分かりきっているのよ」
「間違いがない? でも、だけど……」
「白々しいわね!」

 ユイリの戸惑いをわざととぼけていると解釈したセシリアは、とうとう怒りの表情を浮かべて椅子を倒す勢いで立ち上がった。

「何も知らないって顔をしちゃって。本当はこそこそ裏で、神官長様と良からぬことを画策しているんでしょ?! 外部からの介入を一切受けず孤高なる聖域であるはずの学院を汚すなんて、女神への冒涜に他ならないわ!」
「……女神への冒涜もなにも、ホントに私は何も……」
「まだ言う気?! 噂は神殿の奥深くから出たもので、そうなると高位の神官様しかいないって言うのに、この期に及んでとぼけるなんて。呆れてものも言えないわ」

 吐き捨てられるように言われたユイリとて、一方的に責められたままでは面白くない。
 興奮して息巻いているセシリアに代わって、少しでも落ち着こうと深呼吸をした。

「分かった。百歩譲ってそれが事実だとしても、どうして私と、その、神官長サマが何かを企んでいるなんて言えるの?」
「そんなこと決まっているじゃない、あの方がわたくしにそう言ったからよ!」

 取り付くしまもない。

「ええと、あの方っていうのは一体……」

 ダレ?

 そう続けようとしたユイリは、だがすぐに言葉を飲み込まざるを得なくなった。
 ユイリが疑問を口にした瞬間、セシリアの顔に恐怖にも似た表情が浮かび、みるみる青褪めていったのだ。
 まるで今までの自信に満ち溢れた仮面を、突然剥がれたかのように。

 大きく目を見開いたセシリアは、一度大きく体を震わせると、両手で体を抱きしめて力なく座り込んでしまった。

 ユイリはセシリアの反応にびっくりして、恐々と彼女に近づきそっと顔を覗き込んだ。

「ど、どうしたの?」
「――っ、わたくしに、その汚れた手で触らないで!」

 言葉の意味よりもその剣幕に、伸ばしかけた手を引っ込めた。

 セシリアは、長く背中に垂らしたキャラメル色の髪が顔にかかることを気にすることなく、顔を上げた。
 そこに現れていた表情は、先ほどまでの居丈高さの欠片も見当たらないほど、固くこわばっている。

 セシリアは唇をかみしめて、絞り出すように言った。

「わたくしが今日あなたの部屋に来たことは、誰にも言わないでちょうだい」

 しわがれた、老女のような声。
 詩学の講義や、ユイリを問い詰めていた時のような快活さはどこにもない。

 思わず後ずさるユイリを見据えたまま、セシリアはもう一度念を押すように繰り返した。

「誰にも言わないと約束して。そうじゃないとわたくし……」
「や、約束する」

 ユイリは、こくこくと振り子人形のように頷いた。
 何が何だか分からないけど、ユイリに迫るセシリアには鬼気迫るものがあって、よほど隠しておかなければいけないことなのだと言うことは分かった。
 どうしてか理由を尋ねたかったが、聞いても教えてくれそうな雰囲気ではない。

 セシリアは、ユイリの言葉を聞いてひとまずほっと一息ついたようだった。

「一時の熱情に駆られて、余計なことを言ってしまったわ。あなたのことはしばらく放っておくように言われたのに」
「……」

 誰にと聞きたかったが、ユイリはここでもぐっと我慢した。
 不用意に余計なことを口にして、おかしなことに巻き込まれる事態だけは避けたい。
 ユイリは代わりに、ちらりと出口に目を向けておずおずとした口調で切り出した。

「放っておいてくれるなら、私にはもう何の用事もないはずですよね。それじゃあ、もう遅いですし――ええと、私も眠いかなぁ……なんて思うんですけど」

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