世界の果てで紡ぐ詩
05.
ドアを開けて入ってきたのは、先ほどまで唯理を尋問していた男だった。
男は鋭い目で唯理を見、次いでクラウスに視線を向けて全身に緊張を漂わせた。
当のクラウスは椅子に座ってのんびりくつろいだまま、男の様子を面白そうに眺めている。
「思ったより早かったね」
「あなたは……」
男は一瞬不愉快そうに目を細めたが、すぐに感情を切り替えて深く一礼した。
「私は聖騎士団第一騎士、ジェイ・コートランドと申します。突然のご無礼をお許しいただきたい。しかし、まさかあなたがこのような場所におられるとは思いもしなかった故」
「勝手に出歩くなとでも言いたいのかな」
「いいえ、……はい。今後、このような行動は慎んでいただきたい」
じっと息を殺して二人の様子を窺っていた唯理は、その瞬間空気が冷え冷えとした不穏さに覆われていくのを感じた。
全身が総毛立つような、不快感。
息苦しさを紛らわせようと、震える息を吐いた。
まるでそれが合図だったかのように、クラウスの口元に笑みが浮かぶ。
それは、嘲るようなものだったけれど。
「コートランドと言ったね。どうしてあれが、本物の聖神官ではないと気づいた?」
「――聖神官には少なからず精霊の加護がついていると聞いておりましたが、あの者にはそれが感じられませんでしたから」
「へぇ、騎士風情が気配を嗅ぎ分けられるとはね。勘の鋭いことだ」
その皮肉には取り合わず、ジェイは無表情のままクラウスを見つめた。
「私も無礼を承知で、幾つかお聞きしたいのですが」
「かまわないよ。なんだい?」
「この者の存在をどこで知ったのかということと、どのようにしてこの部屋に入ったのかということです」
微動だにせず二人のやり取りを眺めていた唯理は、突然自分のことが話に上り、布団にくるまったまま身をすくめた。
男――ジェイの質問に、クラウスは楽しそうに頬を緩める。
椅子に座ったまま寛いだ様子で足を組み、背もたれに深く背を預けて考え込むように顎をさすった。
「一つ目の質問については、気配を感じたからとでも言っておこうかな。それに――」
言葉を探すような間を僅かに置き、クラウスは後を続けた。
「一瞬とは言え、途切れかけていた水の力が息を吹き返す気配を感じた。精霊の加護の弱まったこの国であれだけ大きな水の力が動けば、何らかの異変が起きた事には気づく。二つ目については、表からじゃなくてそこの窓からお邪魔したのさ。そのせいでユイリには警戒されてしまったがね」
「……ここは3階のはずですが」
「バルコニーの傍に、大きな木があるね。あれでは外からの侵入を容易にさせてしまう。神殿内の警備は聖騎士団の仕事だったと記憶しているが、君はどう思う?」
「……明日にでも撤去させましょう」
「賢明な判断だ」
形式通りの礼儀正しさを崩さずに、ジェイは頭を下げた。
そこに反抗的な色を読み取ってか否か、クラウスの瞳にちらりと状況を楽しんでいるような皮肉な光が宿った。
頭を上げたジェイは、そのことを別段気にした様子もなく、言を継ぐ。
「ところで。この者が何者なのか、聖神官殿はすでにご存知のようですが」
この者と視線を向けられた唯理は、反射的にシーツをぎゅっと握りしめた。
そこに純粋な疑問に紛れた冷たさを感じ、言葉が口の中でつかえてしまう。
クラウスはその様子に笑みをにじませたまま、何を考えたのか椅子から唯理の避難場所であるベッドに場所を移し、唯理が驚きのあまり硬直するようなことをやってのけた。
つまり、親しげに(全然知らない人なのに!)唯理の肩を抱き寄せたのだ。
そして目を白黒させている唯理には構わず、甘い微笑みを浮かべる。
「野暮なことを聞くもんじゃないよ、君。密室で男女がすることと言ったら決まっているだろう。お互いを知るのに、小一時間もあれば十分だとは思わないかい?」
「……お楽しみのところ邪魔をしてしまったようで、申し訳ありません」
「まったくだね」
あくまで冷静さを崩そうとしないジェイと、重々しく頷くクラウス。
二人のやり取りを茫然と聞いていた唯理は、会話の内容が脳に浸透してくると遅ればせながらベッドの上で飛び上がった。
恐怖をむき出しにしたままクラウスの腕からもがき出て、できるだけ遠い壁際に張り付くと唯一の命綱である毛布を更にきつく体に巻きつける。
そして、上ずった声で叫んだ。
「冗談じゃありません! 私たちはただ話をしていただけです! そんな、そんな――」
「甘い睦言をベッドの上で囁きあっていたじゃないか」
「あ、甘い睦言ですって?! ベッドにいたのは私だけで、あなたは椅子に座っていただけじゃない! それに囁きあっていたんじゃなくて、ただ話をしていただけです。断じてこの人が匂わせたような、その、いかがわしいことをしていたわけじゃありません!」
「どちらも変わらないだろう」
「変わります!」
「今さら照れることはないんだけどね」
「照れてなんかいません、嫌がっているんです! ちょっと、近寄らないでください!」
クラウスがベッドの上で手を動かすと、ぎしりと嫌な音がした。
角とフォーク状の尻尾がいきなり生えてきた瞬間を目撃してしまったかのように、唯理は震えあがった。
「……よく分かりました」
クラウスの空気を震わせるような笑い声の合間に、呆れかえった声が割り込んだ。
「そういうことは、お二人だけの時にして下さい」
ため息混じりのジェイの言葉に、唯理は涙の浮かんだ瞳をめいっぱい見開いて必死に首を振った。
「冗談じゃない! この人と二人きりになんて、金輪際なるもんですか!」
「そんなに冷たいことを言うものじゃない」
本人は悲しげに言っているつもりみたいだけど、全然そんな風には見えない。
口元が笑いにひくついているせいで、全てが台無しだ。
こんな下手くそな演技を見たのは、初めてだった。
しかし頭の中だけでも冷静に考えられたのは、クラウスがベッドの上で身を乗り出して唯理に近づくまでの話だった。
クラウスは何とも鮮やかに、悲鳴を上げようとしていた唯理の口を片手でふさぐと、耳元でそっと囁いた。
「今夜、窓の鍵を開けておきなさい。伝承について教えてあげよう」
唯理にやっと聞こえるくらいの小さな声でそう言うと、ふさいでいた口を離しベッドから離れた。
そして、相変わらず状況を静観しているジェイに向き直る。
「さて。用事は済んだし、さっさと面倒なことは済ませてしまおうか。せっかく他の者を代わりに行かせようと思っていたのに、優秀な騎士殿に見咎められたのでは仕方がない。諦めて、僕が直々に出向くとするよ。もちろん、君が案内してくれるんだろう?」
クラウスが唯理に何を言ったのか気になっていたとしてもそれを表情に出すことなく、ジェイは目を伏せた。
そして、「ご案内いたします」と一言そっけなく言うと、唯理の方を見ないまま先に立って部屋を出て行ってしまった。
静かな音を立ててドアが閉まると、唯理は勢いよくベッドに倒れこんだ。
ずっと緊張していたせいで、全身の筋肉が強張っている。
あまり信用したくはないが、とりあえず今夜は窓の鍵を開けておくのが一番良い考えであるように思えた。
……囚人扱いされていなければ、だけど。
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