白の影 黒の光
45
行く場所なんてどこにもなかった。
父が捕まる一年前に嫁いで行った姉は、嫁ぎ先の理解ある家人たちに守られ、何とか静かに暮らしている。
姉は一緒に暮らそうと言ってくれたが、自分が身を寄せることで軍に目を付けられてしまうことを恐れたラウルは、その申し出を断って、国を出ることを決めた。
たくさんの国を回った。ほとんど着の身着のままで国を出たラウルは、生きて行くために汚いことでも何でもやった。
その日暮らしの生活を続けていたラウルは、ある日ふとアルスフォルトに立ち寄っていた。
唐突に、カインのことをことを思い出した。
懐かしい。
あの頃は幸せだった。
そんな思いに囚われて、気付くと彼は神殿へと足を向けていた。ラウルは自分自身を嘲笑った。
あの人に会ってどうするつもりだ。
どん底まで堕ちた自分を見たら、あの人はきっと軽蔑するに違いない。自分だけの道を歩んで行くことを信じてくれたあの人をの気持ちを裏切るようなことを、自分はたくさんしてきたのだから。
神殿の入り口まで来たものの、ラウルの足はそれ以上前に進まなかった。
帰ろう。
ため息を付いて背を向けたその時。
あの優しい声が彼を呼び止めた。
「ラウルさん?」
びくり、とラウルの肩が震えた。
「ラウルさん、でしょう」
もう一度声を掛けられたが、ラウルは振り向くことが出来なかった。突然のことに体が動かなかったのだ。
立ち尽くしたままどれだけの時が流れただろうか。
それでも相手が立ち去った気配は感じない。
ずっと、ラウルが振り向くのを待ってくれている。
ふと、相手が再び口を開いた。
「温かい紅茶でも飲んで行かれませんか」
その言葉を聴いたとき、ラウルの右手が微かに動いた。
動かなかった体をゆっくりと振り向かせて、ラウルは彼と対峙した。
あの頃と変わらない、包み込むような暖かな笑顔。
ラウルは、父を喪ってから初めて、泣いた。
カインはラウルがポツリポツリと話すのを、ただ黙って聞いていた。
国を出てからの彼の生活を非難することも軽蔑することもなかった。
そして、話し終えたラウルに、一言だけ言った。
「よく頑張りましたね」
一言だけだ。
そのたった一言で、ラウルはすべてを許されたような気がした。
ラウルは、恥も外聞もなく、声を上げて泣いた。
それからラウルは時々カインの仕事の手伝いをしながらアルスフォルトで暮らした。
こんなに穏やかに暮らしたのは何年振りだろうか。
街の人々も皆優しく、必要以上の詮索はしない。
ただ時間だけが静かに過ぎて行くだけ。
そんな時、その噂が耳に入った。
ディオグランの王弟が失脚した。
父を陥れた、レナードが失脚したのだ。
今しかない、と思った。
なぜ父が無実の罪を着せられなければならなかったのか。
なぜ父だったのか。
知るのは今をおいて他にはない。
カインには素直に話した。彼は、ラウルの身を案じたが、引き止めなかった。ただ、帰ってこれる場所をラウルに作ってくれた。
だから安心して旅立てた。
真相を知るためにディオグランの軍に入隊してからも、ラウルにとってカインが心の支えだった。
ディオグランがアルスフォルトを攻めた時、絶望したが彼は諦めなかった。
ラウルの真実を唯一知っているカインは、決して彼を責めることはなかった。ラウルもまた、身を切られる様な思いだったのだと、カインは理解してくれていた。
ディオグランの兵士としてカインに再会したとき、ラウルが元気でいたことをただ喜んでくれた彼のために、ラウルは出来ることをしよう、と思った。
「ディオグラン王の目的は国ではない気がします」
カインがそう語ったとき、ラウルは決めた。
「ならば、おれが真実を探ります」
迷いはなかった。
アルスフォルトの民を守ろうとしているカインを、今度は自分が助ける番だ。
カインは危険だと反対したが、ラウルは一歩も引かなかった。戦争の真実を知ることがアルスフォルトの民を、ひいてはカインを守ることになるならば、たとえ危険な橋でも渡る覚悟は出来ている。
父の死の真相は未だ謎のままだが、ラウルにとってはそれと同じくらい大切なことなのだ。
今度こそ、守る。
喪うことの辛さは、誰よりも分かっている。
ディオグランの兵士たちは彼の仲間ではない。彼の忠誠は、きっと出会ったときからカインだけにあった。
人懐こい笑顔の下に裏切りの決意を隠して、彼は軍へと戻って行った。
すべてを知ることが出来たら、必ずカインの下へ戻る。
それだけが、今のラウルを支える全てなのだから。
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