白の影 黒の光
50
不思議な瞳だと思った。
静かで、何もかもを見通しているかのような、宵闇色。
「どうか、祝福を」
声も表情も、自分と同年代なのに落ち着いていて、今までにカインが出会ったことがない雰囲気だった。
そして、彼から渡された四つ折りの紙片。
何の気なしに開いたそれを見て、目を疑った。
アルスフォルトでは、花や動物、自然のものを模した紋章をお守りにする風習があった。
それらは『印』と呼ばれ、服や小物に刺繍したり描いた紙を小さな袋に入れてお守りとして持ち歩いたりする。
意匠を作る専門の職人もいるが、多くの『印』は代々家に受け継がれているものだ。
目の前の青年が渡した紙に描かれている鳥の意匠を、彼は『印』だと言った。
そして、カインにはそれに見覚えがあった。
いや、見覚えがあるどころの話ではない。
その『印』は、カイン自身が作ったものであったからだ。
いつか空を渡る鳥のように、自由に生きていってほしいと願って描いた。
あの夜に見失ってしまった、妹のように可愛がっていた少女のために。
幼いころに神殿に預けられた少女は、それ以降両親との関わりを断っていたために自分の家の『印』を知らなかった。そもそも、『印』という存在そのものを知らなかったのだ。
ある日母親に連れられて神殿に祈りに来た同年代の少女が、スカートに刺繍された『印』を見せて、この『印』が自分を守ってくれるのだと話しているのを羨ましそうに聞いている姿を見て、カインは徹夜で彼女のために『印』を作った。
「ありがとうございます」
カインから渡された『印』描いた紙を大事そうに抱え、輝く笑顔で礼を言う少女を見て、自分まで嬉しくなったあの時の気持ちを、今でも鮮明に覚えている。
彼はこれを「妹の『印』」だと言っていた。少女――――サリアに兄はいない。だが、この青年はサリアの『印』持っている。これは、サリアと自分以外は知らないはずの紋章だ。ならば何故、この青年がこれを持っているのか。
まさか、彼はサリアの居場所を知っているのか?
カインが顔を上げると、青年と目が合った。
青年はまっすぐにカインを見ている。迷いがない、しかし何か言いたげだった。
口を開きかけ、だがカインは咄嗟に背後に控えているディオグランの軍人の存在を思い出した。
軍は、サリアを探している。
しかし彼らは、この『印』がサリアのものであることを知らないはず。
ここでカインが不審な態度を取ってしまえば、あのリューイ王ならすぐにサリアの手がかりであることに気づいてしまうだろう。
何が目的でサリアを探しているのかは分からないが、敵国に捕まってしまえば彼女がどういう目に遭うか、それだけは分かる。
目の前の青年は、ディオグランの人間よりは信用できそうな気がした。
サリアの『印』をわざわざ自分の下まで届け、彼女の存在を知らせてくれたのだ。
この『印』はカイン自身に届かなくては、意味がない。しかしカインは軍から監視されている身だ。
こうして講話を開くことは許されているが、監視がないわけではない。しかしカインに直接連絡を取るには、講話に来る以外に手段がないのだ。
軍に見つかるかもしれない危険を冒してこうして来てくれた。
少なくとも彼には、サリアに危害を加える気はないのだろう。
「分かりました。妹さんの幸福を祈っておきましょう」
カインは微笑み、青年に頷き掛けた。
その一瞬の目配せで、青年は目的が果たされたことを知ったのだろう。少しだけ安心したように息を吐いた。
「では、頼む」
そう一言だけ言って、彼は微かに頭を下げたように見えた。
その後は、カインに背を向け、振り返ることなく広場を去っていく。
その背中を見送り、これまでと同様に隣にいた神官に渡された紙を渡し、カインは何事もなかったかのように民と言葉を交わし始めた。
幸い、誰にも動揺を気づかれてはいない。
この講話で民から渡された手紙は、検閲を受けるもののすぐにカインのもとに届けられる。その中には『印』を描いたものも多くあるので、咎められることはないだろう。それに、検閲を行なっているのはラウルだ。彼ならば多少疑問に思っても便宜を図ってくれるに違いない。
事態はようやく動き始めそうだ。
もう何も奪われはしない。
カインは優しく笑みを浮かべながらも、そう心に誓っていた。
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