L'Etranger

一日目 波乱万丈の幕開け 1

 メールの返信終了。
 用済みな携帯をポイとテーブルに投げ出して、仰向けに寝転がったら。
 思いのほか堅い地面と頭が、すごい音を立ててぶつかった。
(え。うち、フローリングのはずなんだけど?!)
 目の奥で瞬くのは、たくさんのお星さま。
 頭を抱えて悶絶することしばし。
 目を開けたら、そこは――


 * * *


 あたしは一般人である。趣味は? と聞かれれば、迷うことなく「読書と音楽鑑賞です」と杓子定規な答えを返すような、ごく普通の。
 今まで一度も幽霊なんて見たことはないし、デジャ・ヴュなんて大層なものを経験したこともない。当然、夢遊病の気もないつもりだ。……まぁ、寝相はあまり良くない方だけど。
 寝る時は確かにベッドに潜り込んだはずなのに、朝起きたら床の上で毛布にくるまって寝ていたりとか、夢の中で鳥になったつもりのあたしが思い切りダイブしたら、堅いフローリングの床に身体を強かに打ちつけてお尻に青痣ができたりだとか、これらは許容範囲内の出来事だと捉えてほしい。あぁ、後はしこたまお酒を飲んだ日なんかは、玄関とベッドを間違えてぐーすか寝ていた、なんてことも時にはあるかもしれない。
 ともかくこれらはあくまでもあたしの習慣性に対しての問題であって、この現状を打開する突破口のヒントとなり得るものではない。なぜなら今回ばかりは、あたしに非があるかもしれないっていう前提で考えたとしても、あたしの全く預かり知らないところで“こと”は起こってしまったみたいなのだから。
 呑み屋のバイトが終わってへろへろになって帰宅したのがついさっき、午前二時くらい。うん、我ながら良く頑張ったと褒めてあげたい。
 それから簡単にシャワーを浴びてレンジでチンする超お手軽な夕食――って言うか夜食? 的なものを食べて。寝る前にメールの返信でもしとくか! とか、あたしをとっても良く知る友達連中が聞いたら卒倒しかねないことをしてみたりして。
 ……だからなのかも。普段の面倒臭がりなあたしなら絶対にしないことをしたから、こんな風に意味不明な事態に巻き込まれたのだ。
 槍が降ってくるよりはマシかなーなんて呑気なことを考えていたら、おそらく元凶に違いないその人物は、あたしが悟りを開くまでの長い沈黙を破って目をぱちくりさせながら一言――ほんっとうにたったの一言、こうのたまってくれた。

「……誰じゃ、お主」

 それは、こっちのセリフである。


 * * *


「いやー、本当にすまなかったのぅ」

 見た目小学生のその少女は、やけに年寄り臭い口調で軽い謝罪を口にした。
 雪のように真白い髪と、対照的に漆黒の闇を思わせる瞳。――かなり目立つ色の組み合わせをした、不思議な少女だ。
 あたしは「はぁ」と気の抜け切った返事をして、ずずっと紅茶を一口飲んでみる。なかなか良いブレンドだ。
 場所は変わって、今あたしたちが優雅にティータイムを過ごしているのは、あたしが現れた場所の一つ上。リビングルーム的な部屋だった。
 最初にいた部屋は、どうやら地下室の類だったらしい。道理で、じめじめと湿っぽかったはずだ。ロンT一枚と言うあられもない姿で石造りの冷たい床に座り込んでいたものだから、身体の芯まで凍え切ってしまっている。
 そんなわけで温かい部屋に連れていかれて紅茶をごちそうになっているのだが、そしてこれはこれでとてもありがたいのだが、少し呑気すぎやしないかと不安になったのも事実。というか、間違いなく論点はズレていると思う。
 ここに来てようやく現実世界に帰って来たあたしの頭は、猛スピードで現状把握に向かってフル回転を始めた。

「あのぉ、つかぬことをお聞きしますが……」
「ん? おお、わらわの名前じゃな。わらわはタリィアレイス=セフィアーラ・イェレシェレィン・アルグレイズじゃ。わらわの名前は長い上に発音が難しいからな、タリィアと呼んでくれて構わぬぞ」
「あ、はい。タリィアさんですね。えぇと、あたしは佐倉結愛……ユア・サクラの方がいいのかな? よろしくですー」
「うむ。ユアじゃな。よろしく頼むぞ」
「はい。――――って、違うし!!」

 どうも和やかムードになってしまうのは、能天気なあたしの性格のせいなのか。このまま流されてしまいそうになったところを、あたしは寸前で軌道修正した。
 タリィアはと言うと、眉をひそめ顔をしかめてあたしを見つめている。

「なんじゃ。ユアではなくサクラなのか? 異国の名前はどうも勝手が違くて、難しいのぅ」
「いえ、名前は結愛で合っています。佐倉は名字だから」
「そうかそうか。では本来のお主の名は、わらわとは順序が逆なのじゃな。なるほど、興味深い」

 タリィアはまったりと紅茶を飲みつつ、訳知り顔に頷いた。
 その顔があまりに無邪気だったから、思わずあたしも「そうですねー」とかなんとか返事をしてしまう。
 状況は極めて異常。でも緊張感はゼロ。
 自分の危機管理能力の薄さに、一抹どころか多大なる不安を感じてしまう。元々が楽観的な性分だから、どうにかなるさと呑気に構えているだけって言い方もできるんだけど。それにしても、最低限の現状くらいは把握しておかないと。

「とりあえず質問。ここは一体どこなのでしょう?」

 突然おかしな事態に巻き込まれた身としては、至極もっともな質問だと思う。しかしタリィアは、あたしの質問の意図を完璧なまで見事に、ストレートな捉え方をしてくれた。

「わらわの部屋じゃ。どうじゃ、なかなか居心地が良いであろう」

 挙句の果てに胸を張って威張られたあたしは、どう答えたら良いのだろう。言葉は通じているみたいだから安心していたけど、実は意味まではまったく通じていないのではないかと、あたしは少し不安になった。

「すみません、あたしの言い方が足りませんでした。ここがタリィアさんの部屋だと言うことは、それはもう良く、十分すぎるほど十分に分かっているんです」
「ホホホ。そんな他人行儀な呼び方ではなく、わらわのことは呼び捨てで構わぬぞ。それと、敬語もいらぬ。なにせ、お主には迷惑をかけてしまったようだからのぅ。わらわの不注意で無関係の者を巻き込むとは、なんたる不覚」
「そう、それ! その話!!」

 会話の糸口を逃すまいと、あたしはテーブルに両手をついて身を乗り出した。

「あたし、ついさっきまで自分の家の自分の部屋でくつろいでいたはずなの。で、気が付いたらなぜかこの場所にいた」
「ん? お主がいたのは、ここではなく地下室じゃろうが」
「そこ! あげ足を取らない!! 話がややこしくなるでしょうが」

 ビシィッとあたしが指差すと、タリィアは気圧されたように体を引いた。

「す、すまぬ」
「じゃあ、話を進めます」
「うむ」
「問題は、どうしてあたしが自分の部屋からここの地下室に瞬間移動できたかってこと。あたし、そんな特技を持った覚えはないからね、一応言っておくけど。第一、瞬間移動なんて便利能力を持っていたら、大学の講義に遅刻するなんてこと、絶対にあり得ないから。ましてや遅刻のせいで単位を落とすなんてことも、あるわけないし。大体さぁ、ちょっと講義に遅れたからっていちいちチェックするなんて、どんだけ性格悪いのよ、あの教授は。確かに一度や二度の遅刻じゃないけど、ちょっとくらいこっちの事情を汲んでくれてもいいと思わない? それなのに、問答無用で「後期も頑張ってね」なんて。あたしだって好きで遅刻してるじゃないんだから、少しくらい見逃せっつーの!」
「……何が言いたいのか、さっぱり分からぬぞ」

 いつの間にか頬杖をついてあたしの話を聞いていたタリィアが、そんな感想を呟いた。
 クッキーを一枚放り込んで、もぐもぐ口を動かしながら首を傾げる。

「で、お主は結局何が言いたいのじゃ」

 コホンと、一つ咳払い。
 いかんいかん、教授への怒りがあまりにも大きくて、論点がズレてしまった。

「つまりあたしが言いたいのはですね――」

 今度こそ話を元に戻そうと口を開いたあたしは、残念ながらその後を続けることができなかった。
 おなざりなノックの音が聞こえたと思う間もなく、返事を待たずに部屋の扉が勢いよく開け放たれたのだ。礼儀がなっていないにも、程がある。
 話を遮られる形になったあたしは、ムッとした気分で闖入者を睨みつけようとして――見事に固まってしまった。
 だって、あたしの視線の先にいたのは、今までテレビでもお目にかかったこともないような、目の覚めるような美青年だったのだから。
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