L'Etranger

一日目 波乱万丈の幕開け 5

 うまい話には裏がある。
 注意を喚起する言葉として、一応知ってはいたけれど。
 まさか自分がその意味を、身を持って知る羽目になるなんて……ねぇ?


 * * *


「い、一年後ぉッ?! 何それ、冗談言わないでよ! ってか、ありえないでしょ?!!」

 驚愕のあまり、声が裏返ってしまう。
 一年後。一年。365日。24時間が365日分だから……大体、900時間位?
 頭の中で計算してみたあたしは、顔からサーッと血の気が引いていく音を確かに聞いた。だって、そんなに長い時間行方不明になったりしたら、家族から間違いなく捜索願が出される。って言うか、出してくれると信じたい。さすがにそのまま放置ってことは(たぶん)ないと思うから、あたしは確実に失踪者の仲間入りだ。そして、大学は当然休学扱い。
 ……うぅ、後期は落とせない講義がいっぱいあるのに……。
 貴重な一年間を拘束されでもしたら、あたしの人生プランは台無しである。
 あたしがムンクの叫びそのもののポーズで放心していたら、タリィアが「おぉ、面白い顔じゃのー」とかなんとか言って、ころころ笑った。

「笑いごとじゃないからっ!」

 ようやく我に返ったあたしは、猛然とタリィアに襲いかかった。タリィアの襟首を掴んで前後に揺さぶる。

「一年て簡単に言ってくれるけどねぇ、あたしにだって生活ってもんがあるの! 忙しいの! 将来設計とか人生プランとか立てて、タイムスケジュールはビッシリ詰まってるんだから! それが全部台無しじゃん! それに一年後ひょっこり戻って来て、あたしは何て言い訳すりゃいいのさっ!! あたしを今すぐ元の世界に還せーッ!!」
「お、落ち着くのじゃユア」
「これが落ち着いていられる?! あたしの一生がかかってんだから、今すぐどうにかしなさいよっ!!」

 あたしが必死に抗議していたら、タリィアも必死の形相であたしの腕をバシバシ叩いてきた。その叩き方は、あたしの揺さぶりが大きくなるにつれて少しずつ弱まっていく。あたしが「おや?」と思ってタリィアを見下ろすと、当のタリィアは顔面蒼白で気絶しかけていた。
 ここでようやく、あたしはパッと手を離す。

「あ、ゴメン」

 とりあえず謝ってみる。
 どうやらあたしは、興奮のあまりタリィアの襟首を締め上げて窒息死させようとしていたらしい。もちろん、無意識にだけど。
 タリィアはようやくあたしの魔の手から解放されると、器用にも深呼吸と咳き込むのを同時にやってのけた。

「グ、ゲホッゲホゲホッ! わ、わらわを殺す気か!! あやうく、魂が口から飛び出しそうになったぞ!」

 涙目のタリィアは、上目づかいにあたしを睨みつけた。

「まったく、わらわの話を最後までちゃんと聞かぬか! たわけ者が!!」
「――だって、一年間もあたしは失踪者で、家出人扱いになるんでしょ……」

 あたしがすっかり悲劇のヒロイン気取りで鼻をすすりあげていたら、タリィアは最後に一つ咳払いして乱れた襟元を直しつつ口を開いた。

「確かにお主が元の世界に還れるのは一年後と言ったが、それはこちらで過ごす期間が一年と言う意味であって、お主の世界の時間軸とはまた別の話じゃ」
「――――どういう意味さ」
「つまり、こちらの世界で一年過ごしても、お主は一時間と経たぬうちに元の世界の元の時間へと還れるのじゃ。これなら、お主がいなくなったことには誰も気づかん」

 あたしは目をぱちくりさせた。

「ってことは、あたしが瞬間移動した直後に還れるの?」
「若干の誤差は出ると思うが、問題なく還れるはずじゃ」
「……ちゃんと、10月1日土曜日の午前3時位?」
「お主の世界の暦は分からぬが、お主が還りたいと思った時間に合わせて還すことは可能じゃ」

 還りたいと思った時間――。
 そこであたしがどんな企みを持ったかは、想像に難くないだろう。
 思い浮かぶのは、幾つかのやり直したい過去。些細なものから、人生のターニングポイントにも成り得そうな重大なものまで多岐にわたる。
 うーん。還りたい時間て言ったら、いーっぱいあるんだけど。でも。
 とっても残念だけどここは、心の奥深くに潜む良心の声に従って何も言わないでおいた方が無難だよね。……だって、タリィアが召喚魔法とやらを失敗したからあたしはここにいるんだし。
 高度な注文をつけてまた失敗されでもしたら、たまったもんじゃない。おとなしく、元の世界へ還るという目標だけで我慢しておいた方が安全である。
 決意を胸に一人頷くあたしを見て、タリィアは眉間にしわを寄せた。

「……お主、何か失礼なことを考えておるじゃろ」
「あ、やっぱり分かる?」

 あたしが悪びれない顔であっけらかんと言ったら、タリィアはものすごく不機嫌な顔になった。

「時空間に関する魔法で、わらわの右に出る者はおらぬ。わらわは、偉大なる魔女の一人じゃぞ!」
「あー、はいはい。タリィアはすごいねー」
「ムッ、信じておらぬな」
「召喚魔法とやらを失敗した奴が、今さら何を言う」

 しがない女子大生のあたしを巻き込みやがった、元凶のくせに。
 満面の笑顔。でも言葉には絶対零度の冷気を潜ませて言ったら、タリィアは「ぐぅっ」と言葉に詰まった。それから何事かを思案するように唸っていたかと思うと、蚊の鳴くような声で言った。

「……わらわの呪文は、完璧じゃったはずじゃ」
「…………へぇー」
「うぅ、そんな目で見るでない! 結果としてお主が巻き添えを食ったとしても、わらわは普段通りに召喚魔法を唱えたのじゃから、わらわに非はないぞ!」

 逆切れした挙句に、威張りやがった。
 あたしが思いっきりジト目をしていたら、一転してタリィアは不安そうな顔になった。

「――と、思う」
「どっちさ」

 タリィアは、苦虫を噛み潰したような顔をした。

「わらわは召喚魔法を使い、お主が召喚された。わらわが空間へ介入した帰結としての事象という面では、お主が召喚された時点で相互関係は成り立っておる。そう考えれば、あながち失敗とは言えぬが……うーむ。対象物がちと曖昧だったかのぅ」

 何やら小難しいことを言ってるけど。要は、テキトーに何かを召喚してやろうと思って魔法を使ってみた結果が、あたしってわけね。で、とりあえずあたしが召喚されたんだから、自分は間違ってない、と。
 ……ハァ。

「それで? なんで召喚魔法を使ったのよ。やっぱりあの――ウィラード王子を助けるアイテムが必要だったから、とか?」
「それは――」
「それは?」
「忘れた」

 ケロリとした顔で、そうのたまいやがった。
 あたしのこめかみが、ピクリと動く。

「わ・す・れ・た? もしかして、忘れたって言ったのかしらぁ?」

 まったく悪びれた様子の無いタリィアに、あたしはニッコリ笑って大きく息を吸い込んだ。

「ついさっきのことでしょうが! それなのに忘れるなんて、あるかーッ!!」
「ホホホ、さすがのわらわも、寄る年波には勝てぬのぅ。いや、まいったまいった」
「っつーか、見た目からしてタリィアはあたしより年下でしょーが」

 タリィアは、ちっちっちっと人差し指を振った。

「ユアよ。人を外見で判断してはいけぬぞ。わらわはこんななりをしておるが、お主が及びもつかぬほど膨大な時間を生きておる」

 タリィアは自信満々に胸を張り、明後日の方を向いたあたしは力なく乾いた声で笑った。
 そりゃあ魔法なんて存在する不思議世界だもん、どう見てもあたしより年下な年寄りがいても驚きゃしないけどさ。って言うか、悪い予感はしていたし。

「……一体何歳なの、タリィアは」

 話の流れと言うか。一応聞いてみたら、タリィアは「レディに年を聞くなど、失礼極まりないぞ」と大層ご立腹してしまった。
 いや、あたしが怒られる意味が分からないんだけど。――なんなんだろうねぇ、まったく。
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