Trip Travel 〜旅のお供はしゃべる犬〜
第一話 旅のお供はしゃべる犬? 4
あたしはミスに気付いた。
鞄、ファスナー閉めてる!!
犬にファスナーは開けられない!!
そして、あたしは最大のミスを犯した。
「閉まってんじゃん!!」
獣の耳元で、叫んだ。
……ばかか、あたし。
「…………」
恐る恐る首を動かす。ギギギ、と音がしそうなくらい不自然だ。
「…………」
黒い塊がゆっくりとこちらを見た。耳がピン、と立っている。
青い瞳と視線がかちあった瞬間。
「わ――――っ!!」
叫んだのは……犬のほうだった。
わーって言った。いま、犬がわーって言ったよね。
茫然としているあたしを余所に、犬は叫んだ瞬間あたしから飛び退くと、1メートルくらい後ずさった。
と思ったら、今度はすさまじい勢いで平謝り。
「いや、すまん!!」
いや、すまんというか。
「腹が減ってつい……。良い匂いがするから、何かと思っただけなんだ、本当に!!」
前脚を顔の前で合わせて、ぺこぺこと頭を下げている。
「別に盗もうなんて、これっぽっちも……!!」
ポカンとしていたあたしは、犬がいっていることをほとんど聞いていなかった。
犬ってしゃべるの? 一度も聞いたことないんだけど。お隣のジョンも、裏のポチも「ワン」って言ってるのしか聞いたことないんだけど。
何これ。なんていう生き物だ、これは。そもそも、犬なんだろうか。
ひたすら混乱しているあたしと、ひたすら謝り続けている犬。
このどうしようもない状況を変えたのが、ここ最近で聞きなれた「あの音」だった。
ぎゅるる。
盛大に鳴ったのは、黒い犬の腹の虫だった。
「…………」
「…………」
微妙な沈黙の後、あたしは黙って鞄を取り上げた。
犬がびくっと体を震わせている。なんだかそれが、おかしかった。
「おなか、すいてるの?」
あたしが訊ねると、犬はおどおどと頷いた。
ファスナーを引いて鞄を開ける様子を、犬は興味しんしんで見ている。
鞄を探ると、食べないで残しておいたお弁当とコンソメスープ、オレンジジュースがある。
「……」
コンソメスープはお湯がないと飲めない。オレンジジュースじゃおなかは膨れないだろう。となると、残るはお弁当。
行くあてもないこの状況で、お弁当を失うのは、非常に痛い。
次に食事にありつけるのは、いつになるか分からない。お弁当は貴重な食料だった。
どうしようかと迷っていると、犬がきらきらと目を輝かせてこちらを見ていた。
鞄を開けたことで、おいしそうな匂いが強くなったに違いない。
「…………」
非常に、良心が痛んだ。あたしに良心があったなんて知らなかったけれど、痛むんだから良心なんだろう。
そんな、期待に満ちた目で見ないでほしい。
結局あたしは、きらきら輝く犬の目に、負けた。
「はい、どうぞ」
あたしは包装と蓋を取り、犬の前にお弁当を差しだした。
「い、いいのか?」
犬は今にもよだれをたらしそうな表情で聞いた。本当は良くない。良くないんだけど、出してしまったものは仕方ない。あたしは腹をくくって頷いた。
犬はそれを見て、今度はお弁当に鼻を近づけた。フンフンと匂いを嗅いでいる。
「うまそうだ。助かった、ありがとう」
嬉しそうに笑ってぺこりと頭を下げる。
あたしは嬉しいような悲しいような、複雑な気持ちで曖昧に笑った。
がつがつとお弁当を食べる犬を眺めながら、あたしはふと思った。
鞄の中に残っているほかの食料は、コンソメスープとオレンジジュース。見事に水ものばかりだ。コンソメスープに至っては、お湯がないと飲めない。
犬は助かったけど、あたし助かんないんじゃない?
あたしは思った。
ばかなのか。
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