L'Etranger

一日目 波乱万丈の幕開け 3

 理想と現実。
 そこに横たわる侵しがたい隔たりは、人類に与えられた永遠の課題である。
 もしも肥大化した理想を大切にしたいのなら、現実から目を背けて脱兎の如く、全速力で、脇目も振らずに逃げ出すことをお薦めしたい。
 それは、人間の持ち得る最大の自己防衛手段なのだから。


 * * *


 極度の精神的混乱から立ち返ったあたしは、ようやく裏返った声を発した。

「ち、ち、ちんちくりん? この人、今あたしに向かってちんちくりんて言ったの?! 仮にも初対面のうら若い女性に向かって、なんなのその暴言は! 失礼にも程がある!!」
「――それで、これは何なのだ?」

 傲岸不遜、直情径行も甚だしい失礼男は、またしてもキレイさっぱりあたしを無視してくれた。
 これと顎をしゃくってあたしを差す仕草は、傲慢そのもの。うっかり見惚れてしまったあたしの純情を、返してほしい。
 あたしが毛を逆立てて怒る傍らにいても、タリィアのマイペースぶりは健在だった。

「おお、すっかり紹介しそびれてしまった。こちらにいるのは、ウィラード・ジェンティ・エスフィリア、ウィラード王子じゃ。そして王子、この者はユア。わらわの――――」

 たっぷり3秒間の沈黙の後、タリィアは悪巧みを思いついた子供のように満開の笑みを浮かべた。

「弟子じゃ」
「……は?」
「……弟子だと? このちんちくりんが?」

 また失礼なことを言われたような気がするけど、今のあたしにはまさしく右から左状態。タリィアの爆弾発言に目が点になってて、それどころじゃなかったし。
 だって寝耳に水って言うか、むしろあり得ないでしょ? あたしが弟子だなんて、そんなバカな話があるかっつーの。
 当のタリィアは、自分が投下した爆弾の効果が大いにお気に召したのか、なぜか得意げな顔をしてにんまりと笑った。

「ホホホ、ユアはわらわの弟子じゃ。表立って王子の肩を持つことは、陛下の臣であるわらわにはできぬことであったからの、わざわざ遠方より呼び寄せたのじゃ」
「いやいや、そんな話は聞いてないからね」

 あたしは、ご満悦顔のタリィアにすかさずツッコミを入れた。
 そんな話は初耳どころか、どうして自分の部屋からこの場所に瞬間移動したのか、肝心要の話すらしていない。まったり紅茶なんかを飲んで馴染んでいる自分もどうかと思うけど、さっきから一向に話は進んでいないのだ。で、ようやく真相が明らかになるかと思いきや、タリィアのこの発言。どう考えても、話がおかしな具合にねじ曲がってしまっている。
 あたしがそのことを抗議しようと息を吸い込んだところで、またしても話の先を越されてしまった。

「お前に弟子がいたとは、初耳だが?」
「吹聴して回るようなことでもないからのぅ」
「こんな平凡を絵に描いたような小娘に、一体何ができると言うのだ。どう考えても、足手まといにしかならんだろう」
「うむ。……まぁ、それはそうなのじゃが…………」

 ちょっと! そこ、否定してくれないの?!

「あまりに凡庸すぎて、話にすらならぬぞ」
「――……うーむ」
「それに、俺はこいつの手を借りようと思うほど、落ちぶれてはいない」

 ……。
 ほほぉ。小娘、そして極めつけはこいつと来ましたか。
 プツンと堪忍袋の緒が切れたあたしは、腰に手を当ててズイと前に出た。顎を突き出し、威嚇の表情を浮かべる。背丈が足りないせいで、見下ろすんじゃなくて見上げるような形になってしまったのは残念だったけど。

「王子さまだかなんだか知らないけど、あんたの言い方すっごく失礼だし! いい大人で、しかも王子なんて高い身分にいるくせに、礼儀がなっていないなんてホンット最低! いい? 耳の穴かっぽじってよーく聞いとけ! あたしはちんちくりんでもこいつでも小娘でもなくて、ちゃんとした名前があるの! あたしは結愛。それくらい覚えろっつーの、この脳たりんが!!」
「なっ――――」

 傲岸不遜、直情径行も甚だしい失礼男――改めウィラード王子が怯んだ隙に、あたしは更に言葉を続けた。

「それに、あたしを良く知らないくせに足手まといなんて言わないでくれる? これでも一応、バイト先の呑み屋では気のきく看板娘で通ってんだから! お客さんにも、“結愛ちゃんが注いでくれるお酒は、格別に美味しいねぇ”なんて言われて、評判だっていいしさ。中には、あたし目当てで通ってくれるお客さんもいるくらいだし? その点も、きっちり覚えとけっつーの!」

 一気にまくし立てて、ゼエゼエと肩で息をするあたし。ウィラード王子は口を開けたり閉めたりするものの、結局は言葉が出ない様子だ。対照的にタリィアは、面白そうな顔をしている。
 怒りの頂点が過ぎると、ちょっとだけ頭が冷えて落ち着いてきた。続く沈黙。かなり大げさに言っちゃったかもと、あたしは心の中でこっそり舌を出した。
 ま、どうせこの二人には分かりっこないから、別にいいけど。嘘も方便て、便利な言葉もあることだしね。

「お前――」

 なんとか言葉らしきものを食いしばった歯の間から押し出したけど、ウィラード王子はそう言ったきり、また口を閉ざしてしまった。甘やかされて育ち王子だとちやほやされてきたのだろう、思いがけなく反論したあたしを、もの凄い目つきで睨みつけている。
 あー、仮にも王子さまだし、不敬罪だ! とか言って牢屋に入れられたりするのかな。
 今さらながら心配になってきたあたしがタリィアをちらりと見たら、意味の分からないことにバチンとウィンクをされた。

「どうじゃ、王子。ユアは面白い娘であろう」

 褒められたのかけなされたのか、いまいち判別がつきにくい言葉である。
 苦虫を噛み潰したような顔をしているウィラード王子に、タリィアは上機嫌に笑った。

「お主にこのような口をきける者は、なかなかおらぬぞ。貴重じゃろ」
「……俺には、恐れを知らないバカ者にしか見えんが」

 まだ言うか。
 あたしは、これ見よがしにため息を吐いた。

「だからさぁ、あたしはバカ者じゃないっつーの。あたしの名前は結愛だって、ついさっきも言ったでしょうが。何度言わせりゃ気が済むのよ」
「……目上の者に対して、敬意を払うということも知らんようだ」
「目上の者も何も、礼儀を知らない失礼な人に払う敬意なんて、あたしはこれっぽっちも持ち合わせていませんから」
「っく、俺は王族だぞ! このエスフィリアで、第一王位継承権を持っている!!」
「ふぅん。で、それが何? 権力を笠に着てしか物を言えないなんて、可哀想な人だね」

 フフンと、あたしは鼻で笑ってやった。
 王族も王子さまも、現代日本に住んでいて海外旅行もしたことがないあたしからすれば、ただ物珍しいだけ。そりゃあ、最初はその端正すぎるほどキレイな見てくれに騙されはしたけど、そこそこ年齢を重ねたあたしは現実的なのだ。極限まで美化された理想像が崩れ落ちた後は、敬意なんてものも瓦礫がれきの下なのである。
 気の毒にも、ウィラード王子は怒りのあまりふるふると拳を震わせている。勝ったなと、あたしは思った。
 ウィラード王子は、あたしの不遜な態度を改めさせることを諦めたのか、腹を抱えて笑い転げているタリィアを睨みつけた。とりあえず、話を元に戻すことにしたようである。

「お前がこいつ――ユアを呼び寄せたのなら、今回の一件に関してお前は俺の味方であると考えて良いのだな?」

 ウィラード王子は、殊勝にもあたしの名前を言い直してタリィアに問いかけた。苦々しい口調なのはいただけなかったが、とりあえずこの件は良しとしよう。
 一方問いかけられたタリィアは、ピタリと笑いを引っ込めてどこか曖昧な表情を浮かべた。

「うむ……。わらわは国王陛下の臣ではあるが、今回の一件が王子には早すぎると言う意見には賛成じゃ。そもそも王子にその気がないのなら、あまり意味のないことのようにも思える。じゃが、わらわには陛下のお気持ちも分かるからのぅ。さて、どうしたもんか」
「どうしたもこうしたも、俺はまだ25。そう急ぐ事情もないのだから、俺に無理難題を押し付けようとする父上の方が間違っているのだ」

 憮然と、ウィラード王子は言い放った。
 国王陛下、つまり彼の父親が何かを命じたものの本人は嫌がっていて、タリィアに助けを求めている――にしては、ずいぶん上から目線な気もするけど――のは間違いなさそうだ。で、あたしは何やらタリィアの手伝いをさせられるために遠方から呼び寄せられたらしい。
 ……まぁ、これについては、タリィアの口から出まかせだろうとは思うけどね。
 だって何か思惑があってあたしを呼び寄せたにしては、最初に見たタリィアの表情と言葉はどう考えてもおかしい。本当に、ビックリしていたもの。じゃあ、どうしてこんなウソを吐くの?
 あたしはクエスチョンマークを顔中に浮かべてじぃっとタリィアを見つめていたけど、結局問いただすようなことはしなかった。――話がややこしくなったら面倒くさいからね!

「それに……」

 ウィラード王子は、憮然とした面持ちであたしを睨みつけた。

「父上の臣であるお前が、わざわざこの者を呼び寄せたのだ。とすれば、一応俺を助けるつもりはあるのだろう」
「ううむ。その件については、一時棚上げじゃ。ユアはこの国に来てまだ日が浅いから、そうかすこともあるまい」
「俺は、今すぐにでもあれをどうにかしてほしいのだが」
「ホホホ、おモテになって良いではないか」

 あたしが事情を知っているという前提を元に、二人の会話はさくさく進んでいく。
 得た情報を繋ぎ合わせてみても、全然意味が繋がらない。あたしも当事者って事になってるはずなんだけど。
 うーんと首を傾げていたら、ウィラード王子が、「冗談じゃない!」と吐き捨てるように言った。

「始終追いかけ回されるこっちの身にもなってみろ。茶会だの詩の朗読会だの、ひっきりなしに招待を受けていたのでは、こっちの身が持たん。ファッションの話も社交界の噂話も、俺には全く興味はないのだ! それをあのバカ者どもは、延々と話したがるのだぞ。何の嫌がらせだ、これは!!」

 一見華やかそうに見える宮廷生活も、裏ではいろいろと大変なんだなぁと同情しつつ、冷めた紅茶を一口。ああ、美味しい。
 タリィアは、慰めるように言った。

「お主の怒りは分かるが、そのようなことを言うものではないぞ。なにせ彼女たちは、お主のお妃候補として集められた者たちなのだから」

 その瞬間、あたしは「ぶはっ」と盛大な音を立てて口に含んだばかりの紅茶を吹き出してしまった。あまりにビックリしたものだから、ウィラード王子がものすごい形相とスピードで遠ざかっていったことも気にしない。
 あたしは、不機嫌を通り越してわなわなと震えているウィラード王子を指差した。

「お、おおおおおおお妃候補?! この人、結婚するの?!! ちょっ、絶対に考え直した方がいいって。だって、人生ドブに捨てるようなものだよ、それ! 確かに顔はいいけど、性格が捻くれ曲がったイヤな奴なんだから。……あ、もしかして実態知らないとか? ――うわー、気の毒すぎる……」

 きっと政略結婚で、親に言われて仕方がなくなんだ……。もしかすると、想い合う人がいるのに逆らうことができずに泣く泣く、ということもあり得るかもしれない。うん、間違いない。きっとそうだ。そうじゃなきゃ、見てくれだけは抜群にいいこの顔に騙されているのかも。どちらにしても、可哀想すぎる!
 あたしが勝手に創り上げたヒロインに同情していたら、ウィラード王子は噛みしめた口の間から地が震えるくらい凄まじい唸り声を出した。

「貴様……」

 どうやらあたしは、“こいつ”から“貴様”に昇格――じゃなくて降格? されたらしい。
 あのメデューサもかくやと言う程の眼光で睨まれたあたしは、ここに来てようやく身の危険を察知した。あ、これはヤバイかもと、冷や汗をダラダラ流しながら縮こまる。すぐさまタリィアの背に隠れたけど、あたしよりちびっ子なタリィアの背中では、到底全てを隠せるはずもなかった。

「ホホホ、ユアは正直者じゃのぅ」

 追い打ちをかけるように、どこまでも能天気なタリィアがとんでもないことをさらりと言ってのけた。空気が読めないにも程がある。
 ウィラード王子は、あたしとタリィアを順番に睨みつけると、何も言わず――でも後ろ姿はとても雄弁だった――憤然とした足取りで部屋を出ていってしまった。
 あとには、台風が過ぎ去った後みたいに不気味な静けさが横たわる。二次災害が来るのを恐れているような感じだ。
 しばらくして、タリィアが一言呟いた。

「――おや、捕まったようじゃの」

 どこか遠くの方で、華やいだ女性の甲高い歓声が湧きあがっていた。
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